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2016年版 2月9日はこんな日


● 今日(2月9日)の主なできごと

1160年  源頼朝捕まる……平治の乱に敗れた源頼朝が、平頼盛の従者・平宗清に捕われた。殺されるところを池禅尼の命乞いで救われ、伊豆の蛭ヶ小島(韮山)に流されて青年期を送ることになった。のちに頼朝は、鎌倉幕府を開く。

1950年 マッカーシー旋風……アメリカの上院議員のマッカーシーが「国務省内に共産党員が205名もいる」と発言し、「赤狩り旋風」がまきおこり、アメリカ政界を混乱させた。その動きは、連合軍の占領下にある日本にも及び、共産主義者やその支持者を不当に解雇する「レッド・パージ旋風」が始まった。

1956年 原水爆実験中止決議……第2次世界大戦で広島・長崎に原爆被害を受けたわが国は、1954年南太平洋にあるビキニ環礁で行なわれたアメリカ水爆実験で、第5福竜丸が死の灰をあび、久保山愛吉さんの死亡したビキニ事件がおこった。これがきっかけとなって、原水爆禁止運動がさかんとなり、国会はこの日原水爆実験中止を決議、アメリカ、ソ連、イギリス政府に実験中止の申し入れをした。

1969年 大型旅客機時代の幕開け……アメリカのジェット旅客機ボーイング747型機が試験飛行に成功。一度に490人も運べることで「ジャンボ」の愛称で親しまれ、翌年から就航を開始。このおかげで交通運賃が安くなり、気軽に海外旅行が楽しめるようになった。


● 今日の主な記念日・恒例日

ふくの日……下関では、河豚は「ふく」と発音、「福」と同音であることから縁起の良い魚とされている。「ふ(2)く(9)」のごろあわせから、下関ふく連盟が1981年に制定して全国的に広まる。
 

● 今日生まれた人

1834年 江藤新平……幕末の佐賀藩士で、明治新政府の参議・初代司法卿となるも、下野して「佐賀の乱」をおこす。

1856年 原敬……明治・大正期の政治家。日本で初めて政党内閣を組織し、「平民宰相」といわれたが、首相在任中に暗殺された。

1887年 土田麦僊……大正・昭和期の日本画家。代表作『舞妓林泉』『大原女』『島の女』『湯女図(ゆなず)』など。

1898年 八木重吉……大正期の詩人。詩集『神を呼ぼう』『貧しき信徒』。短詩が多いのが特徴。

1912年 双葉山定次……昭和期の力士。35代横綱。69連勝記録はいまだ破られていない。

1930年 ハナ肇……昭和・平成期のタレント・俳優。クレージー・キャッツのリーダー。


● 今日亡くなった人

1786年 手島堵庵……江戸時代中期の心学者。石田梅巌「心学」を普及。

1881年 ドストエフスキー……ロシアを代表する文豪。代表作『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』など。

1916年 加藤弘之……明治期の政治学者・教育家。啓蒙活動を展開するものの、後には社会進化論の立場から民権思想を批判。

1932年 井上準之助……大正・昭和期の財政家・政治家。

1987年 貝塚茂樹……昭和期の中国史学者。

1989年 手塚治虫……昭和期の漫画家。代表作『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『火の鳥』など。

1999年 久野収……昭和・平成期の哲学者・評論家・平和運動家。


● 過去のマイブログ「2月9日」のテーマ

2015年ブログ 「幼児教育の先駆」 手島堵庵
江戸時代中期、石田梅巌の「心学」に学び、文字に親しまない女性や子どものための教本を作るなど、心学の普及に努めた手島堵庵(てじま とあん)が、1786年に亡くなった日です。1718年、京都の豪商で『商人夜話草』などの教訓書を著した上河宗義の子として生まれた手島堵庵(本名・上河喬房 通称・近江屋源右衛門)は、幼いころから父の薫陶を受け、18歳で「心学」の開祖として知られる石田梅巌の門に入り、3年後の1738年に、師から開悟されました……。

2012年ブログ 明治学界の重鎮・加藤弘之
明治期の政治学者・教育家として啓蒙活動を行った加藤弘之(かとう ひろゆき)が、1916年に亡くなった日です。加藤は、東大の初代総長としても有名です。1836年、但馬国出石藩(現・兵庫県豊岡市)藩士の家に生まれた加藤は、10歳で藩校弘道館に通って朱子学を中心とした儒学、さらに兵学を学びました……。

2011年ブログ 「おもしろ古典落語」8回目 一眼国
昔はあちこちに、見世物小屋というのがありました。珍しいものを見せてお金をとろうという商売ですが、中にはインチキくさいものもありました。「さぁ、ごらんよ…世にもめずらしい怪物だぁ、目が3つで歯が2本だよ」入って見たら、鼻緒のぬけた下駄の片っぽが転がしてあります。たしかに、目が3つで、歯が2本ですから、文句がいえません……。

2010年ブログ 井上準之助の暗殺
大正から昭和初期の政治家だった井上準之助が、1932年に「血盟団」という右翼組織の青年によって暗殺された日です。第一次大戦のころの特需が終わってからの日本の経済は、高騰していた株価が急落するなど、少しずつ不況がひろがっていました。それが1923年におこった関東大震災によって、大量の不良債権が発生して、深刻な事態にまでおちいっていきました……。

2009年ブログ 平民宰相・原敬
日本で初めて政党内閣を組織し、爵位の辞退を表明したため平民宰相といわれた明治の政治家・原敬(はら たかし)が、1856年に生まれた日です。政治家原敬は、盛岡藩(岩手県)の武士の家に生まれました。父は敬が9歳のときに死にましたが、祖父は藩の家老をつとめた家がらでした。しかし、盛岡藩は、明治維新に幕府がわについて朝廷軍と戦ったため、朝敵とよばれるようになり、明治時代をむかえたころには、原家も落ちぶれてしまっていました……。

2007年ブログ 人を思いやる心
小学6年生の男の子5人が自転車で遊びに行っての帰り、1人が、自動車と接触して横転した。ところが、4人の仲間はこれを目撃していながら、かけよろうともせず先に帰ってしまった。そして、つぎの日学校で顔をあわせると、仲間の1人が、きのう横転した子に 「なんだ、おまえ生きてたのか」 と言った。──これは、じっさいにあった話ですが、なにか、ぞっとさせられます……。

2006年ブログ 「レディバード特選100点セット」 幸福の王子
アイルランドの作家オスカー・ワイルド(1856-1900)「幸福の王子」の最終回。毎日どんどん寒くなり、ツバメは王子に、彼の兄弟たちがいる暖かい地方のことをすべて話しました。でも王子は、ツバメに町の上を飛んでもらい、何を見たかを話してもらいたがりました……。
投稿日:2016年02月09日(火) 05:37

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)