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2016年版 2月10日はこんな日


● 今日(2月10日)の主なできごと

1763年 イギリスがカナダを獲得……イギリスとフランスとの間で争われた植民地7年戦争が終わり、パリ条約が結ばれて、フランスはカナダをはじめ、ミシシッピー川以東のルイジアナをイギリスに譲渡し、北アメリカの領土を失った。英国はすでにインドのフランス植民地も得て、いわゆる「太陽の没しない大帝国」を築き上げた。

1809年 間宮海峡発見……江戸時代後期の探検家・間宮林蔵が樺太は島で、大陸と海で隔てられていることを確認。後に「間宮海峡」と名づけられた。

1904年 日露戦争宣戦布告……2日前に旅順のロシア艦隊に水雷攻撃を加え、大打撃を与えた日本は、ロシアに宣戦布告。1年4か月にわたる日露戦争へ突入。

1940年 津田左右吉の著書発禁……歴史学者の津田左右吉が『古事記及日本書紀の研究』などの著書の中で、『古事記』や『日本書紀』などの神代の記述は史実ではないことを明らかにした。これが「天皇の政治を批判し、天皇家を冒涜している」とされ、出版法違反で罰せられ、著書も発禁となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

海の安全祈念日……2001年、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が、ハワイ沖で米国の原子力潜水艦に衝突されて沈没。教官・生徒ら9人が亡くなったことから、全国水産高校長協会が2003年に制定。

簿記の日……福澤諭吉がアメリカから持ち帰った初の簿記の本『帳合之法』が、1873年この日に発行されたのを記念して制定。
 

● 今日生まれた人

1528年 種子島時尭……種子島の領主。種子島に漂着したポルトガル商人から鉄砲を購入。鉄砲伝来のきっかけとなる。

1657年 新井白石……江戸時代中期の政治家・学者。代表著作『折たく柴の記』『西洋紀聞』『読史余論』 など。

1775年 チャールズ・ラム……イギリスの随筆家・詩人。代表作『シェイクスピア物語』など。

1819年 毛利敬親……幕末から明治初期の長州藩主。

1886年 平塚雷鳥……明治・大正・昭和期の婦人解放運動家。

1899年 田河水泡……昭和期の漫画家。代表作『のらくろ』シリーズ。

1902年 ブラッテン……アメリカの物理学者。トランジスタを発明。

1903年 吉田富三……昭和期の病理学者。「吉田肉腫」を発見。

1907年 津田恭介……昭和・平成期の薬学者。「フグ毒」研究。


● 今日亡くなった人

1755年 モンテスキュー……フランスの啓蒙思想家・法律家・歴史家。代表作『法の精神』。

1851年 水野忠邦……江戸時代後期の政治家。「天保の改革」を指導。

1878年 ベルナール……フランスの生理学者。代表作『実験医学序説』。

1879年 ドーミエ……フランスの画家・版画家。庶民の姿を愛をこめて描き、政治を鋭く批判。

1923年 レントゲン……ドイツの物理学者。X線を発見。

1949年 安部磯雄……明治・大正・昭和期の社会運動家。

2005年 アーサー・ミラー……アメリカの劇作家。代表作『セールスマンの死』など。


● 過去のマイブログ「2月10日」のテーマ

2015年ブログ 「実験医学の先駆」ベルナール
『実験医学序説』を著し、グリコーゲンの発見をはじめ、肝臓・膵臓・交感神経などの働きを解明したフランスの生理学者ベルナールが、1878年に亡くなった日です。1813年、フランス東部ローヌ地方のサン・ジュリアン村に、ぶどう作り農家の子として生まれたクロード・ベルナールは、村のイエズス会の学校で初等教育を受けたのち、リヨンに出て薬局で働きました……。

2014年ブログ 「人道主義運動」 の安部磯雄
キリスト教的人道主義の立場から社会民主主義運動を主導し、教育・政治・スポーツなどに大きな役割をはたした安部磯雄(あべ いそお)が、1949年に亡くなった日です。1865年、福岡藩士岡本家の次男として福岡市に生まれた磯雄 (安部姓は、1884年に徴兵免除の特典のえられる60歳以上の老人のいる家を探し名義上安部家の養子となったもの) は、英語を学ぶために新島襄が京都に設立した同志社英学校(のちの同志社大)に入り、在学中に新島からキリスト教の洗礼を受けました……。

2013年ブログ 「おもしろ古典落語」105回目 反対車
明治を代表するのりものといいますと、「人力車」ですね。梶棒(こんぼう)をにぎった車夫が、ひとりかふたりの客を乗せて、「ほらよッ、はいッ…」と気合いを入れて、ガラガラッと走りました。この人力車が発明されましたのが明治3年、これは便利だっていうので、たちまち流行しまして、十年後の明治13年には東京だけでも15万6千台にもなったっていうんですから、もう町ん中は人力車の洪水です……。

2012年ブログ 「天保の改革」 と水野忠邦
江戸時代末期に「天保の改革」を指導したことで知られる水野忠邦(みずの ただくに)が、1851年に亡くなった日です。1794年、唐津藩主・水野忠光の次男として生まれた忠邦は、17歳で藩主になりました。忠邦はかねがね、幕府の政治に不満を持ち、自分が老中になって政治をやりなおすならば、力の弱まった幕府の息をふきかえすことができると考えていました……。

2011年ブログ 女性解放と平塚雷鳥
明治・大正から戦前・戦後にわたって女性解放運動・婦人運動の指導者として活躍した平塚雷鳥(らいちょう)が、1886年に生まれた日です。東京麹町に、高級官吏を父に3人姉妹の末娘として生まれた平塚雷鳥(本名・明[はる])は、1887年から1年半欧米を視察旅行した父の影響で、ハイカラで自由な環境で育ちました……。

2010年ブログ 日露戦争の宣戦布告
日本政府が大国ロシアに対し1904年、宣戦布告をした日です。日露戦争は、日本とロシアが、中国東北部の満州と朝鮮半島を、どちらが支配するかの争いでした。1902年に、日本はイギリスと「日英同盟」という秘密同盟を結んでいました。どちらの国かが他の1国と戦争を始めた場合は、一方は中立を守る。2国以上と戦争した場合は、同盟国に味方をして参戦するというものでした……。

2009年ブログ 天保の改革の水野忠邦
江戸時代の末期に「天保の改革」を指導したことで知られる政治家・水野忠邦(みずの ただくに)が、1851年に亡くなった日です。1794年、唐津藩主水野忠光の次男として生まれた忠邦は、17歳で藩主になりました。忠邦はかねがね、幕府の政治に不満を持ち、自分が老中になって政治をやりなおすならば、力の弱まった幕府の息をふきかえすことができると考えていました……。

2006年ブログ 「幸福の王子」 に感銘
昨日、東京K大学に勤務していたYさんからうれしい電話をいただきました。まだYさんが20代だったころ、先輩の先生に誘われて「レディバード特選100点セット」のデモンストレーションを当社代理店の営業マンから受け、数人といっしょに、当時の定価168000円で購入されたということでした。購入当初は、あまり利用することがなかったようでしたが、私のブログを読んで急に思い出し、本棚の片隅から引っ張りだしたそうです……。
投稿日:2016年02月10日(水) 05:51

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)