「社会進化論」 のスペンサー
今日12月8日は、明治時代の「自由民権運動」に大きな影響を与えたイギリス在野の哲学者・社会学者のスペンサーが、1903年に亡くなった日です。
1820年、イングランド中部の都市ダービーに、非英国教会の家庭に生まれハーバート・スペンサーは、教師であった父の方針で学校教育を受けず、父と叔父を教師として、家庭で教育を受けました。16歳でロンドン・バーミンガム鉄道の鉄道技師として働きながら著作活動を行ない、1843年には経済誌「エコノミスト」記者になり、1848年には同誌の副編集長になっています。叔父の遺産を相続した1853年以降は、亡くなるまで約50年間、どこにも勤めず、結婚もせず、在野の研究者として著述に専念しました。
その間、1858年にダーウィンが進化論を発表しましたが、スペンサーはそれに先んじて、生物は単純なものから複雑なものに分化してきたと主張し、のちに、この考えを基礎に、「社会進化論」をとなえ、宇宙の生成から人間社会の進歩から道徳倫理の原理まで、あらゆるものを「進化論」の立場に立って統一的に説明しようと試みました。それが1862〜96年まで35年かけて完成させた『総合哲学体系』(10巻)でした。
スペンサーの思想は、個人主義と自由主義を擁護するものだったために、1870年代以降、イギリスのJ・Sミルやアメリカの鉄鋼王カーネギーら欧米諸国の進歩的な人々のなかに広く普及し、日本でも自由民権運動の活動家に広く受け入れられ、1880〜90年代の明治期は、スペンサーの著作が数多く翻訳されて、「スペンサーの時代」と呼ばれるほどでした。
いっぽうスペンサーは、オーギュスト・コントの実証主義と社会学思想に大きな影響を受け、社会学の創始者の一人としても有名です。その社会学は、社会を「システム」として把握し、これを、維持、分配、規制の各システムに分け、社会システムの「構造と機能」を分析上の中心概念とするもので、社会有機体説と呼ばれています。現代社会学における「構造機能主義」の先駆とされ、とくに「自由放任」という経済政策上の考えを、社会全体に拡大したことで、政府の規制を好まないアメリカでは熱狂的に支持されました。
晩年は、栄光にみちていたばかりか、その思想はアメリカのサムナーら後継者に引き継がれ、のちの1920年代アメリカの社会学、社会思想の中枢となりました。
「12月8日にあった主なできごと」
BC441年 シャカの悟り…仏教を開いたインドのシャカが、王宮の妻子の元を離れて6年目のこの日、悟りを開いたといわれています。
1941年 太平洋戦争勃発…日本の連合艦隊がハワイ・オワフ島の真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊を奇襲して、この日から3年6か月余にもおよぶ太平洋戦争に突入しました。
1980年 ジョン・レノン射殺…世界的なロックバンド、ビートルズの中心メンバーだったジョン・レノンが、ニューヨークの自宅アパート前で、熱狂的なファンにピストルで撃たれて亡くなりました。
投稿日:2015年12月08日(火) 05:01