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最新記事【2015年05月14日】

今日5月14日は、バレエ『飛鳥物語』『戦国時代』『角兵衛獅子』などの創作、「橘バレエ学園」を設立して、娘の牧阿佐美ら数多くの優秀なバレリーナを育てた橘秋子(たちばな あきこ)が、1971年に亡くなった日です。

1889年、栃木県宇都宮市に生まれた橘秋子(本名・福田サク)は、栃木師範学校(今の宇都宮大学)を1926年に卒業後、県内の高等小学校に勤務し、おもに体操の教師として創作ダンスを作るうちバレエに興味を持つようになりました。やがて本格的なバレエの道を志すと、1930年鎌倉にあったロシアから来日したエリアナ・パブロワ・バレエ団に内弟子として入団しました。まもなく浅草松竹座での公演でデビューをはたすと、翌1931年には、自作『生蕃(せいばん)の印象』 を日比谷公園音楽堂で発表して絶賛を浴びました。

1933年に独立、橘秋子舞踊研究所を杉並区大宮前に開設すると、門下生とともに橘秋子舞踊団(後の橘バレエ団)として公演活動を開始しました。また、パブロワのもとで草創期の日本バレエ界で活躍していた牧幹夫と結婚、娘の阿佐美をさずかりました。秋子と幹夫は、幼い阿佐美を親戚に預けると、『こわれた人形』など数多くの作品を引っ提げて全国各地を公演しました。ところが、1938年にタゴールの思想に魅かれた幹夫はインド芸術を学びたいと単身インドへ渡ってしまいました(帰国することなく1970年ポンペイで死去)。その後、秋子率いる舞踊団は、1939〜44年、満州や山西省などへ慰問団の一員として、戦場の兵士を励ます活動を行いました。

敗戦後の1946年、新宿の保育園内にバレエ研究所を開設して公演活動を再開すると、1950年には橘バレエ学園を設立します。優秀なバレリーナには、幅広い教養と精神修養の必要性を感じていた秋子は、バレーレッスン以外に、礼法・座禅・茶道などを採り入れました。1952年に学校法人に認可されると、世界的なバレリーナのアレキサンドラ・ダニロワを講師をに招くいっぽう、シンフォニック・バレエ『運命』『未完成交響曲』や、創作バレエ『飛鳥物語』『戦国時代』『角兵衛獅子』などを次々に発表して、どの公演も成功させました。

1956年には、大成した娘の阿佐美を筆頭に、門下生の大原永子、森下洋子らとともに「牧阿佐美バレヱ団」を結成し、数多くの公演を成功させ、今も日本を代表するバレエ団として親しまれています。

なお、秋子は、1960年に 『運命』の振付で芸術選奨文部大臣賞受賞したほか、『飛鳥物語』振付で東京新聞舞踊芸術賞受賞。1967年には、日本バレエ界に残した功績により紫綬褒章を受章しています。


「5月14日にあった主なできごと」

1221年 承久(じょうきゅう)の乱…後鳥羽上皇は、京都近隣の武士1万7千人に対し、鎌倉幕府執権の北条義時追討の命令を出しました。幕府軍は19万の軍勢でこれをむかえ討ち、上皇を隠岐島へ流しました。鎌倉幕府成立後、京都の公家政権との二頭政治が続いていましたが、この乱以降は幕府が優勢となり、皇位継承にまで影響力を持つようになりました。

1796年 ジェンナーの種痘…イギリスの外科医ジェンナー は、牛痘にかかった人の膿を少年に接種 (種痘) し、天然痘という伝染病を根絶させるキッカケとしました。そのため、5月14日は「種痘記念日」に制定されています。

1839年 蛮社の獄…江戸幕府目付の鳥居耀蔵は、田原藩士渡辺崋山、高野長英らを逮捕しました。蛮社とは、洋学者を中心に町医者・藩士・幕臣等有志の者が海防目的で蘭学や内外の情勢を研究していた尚歯会(しょうしかい)を「野蛮な結社」と国学者たちがさげすんだことによります。浦賀沖へ来航したアメリカ船モリソン号に砲撃を加えたことを、崋山や長英らが非難したことへの反感からの逮捕でした。

1878年 大久保利通死去…明治維新をおしすすめた西郷隆盛、木戸孝允とともに「維新の三傑」とよばれ、明治新政府の土台をささえた指導者大久保利通が暗殺されました。
投稿日:2015年05月14日(木) 05:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)