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最新記事【2014年10月23日】

今日10月23日は、山形、福島、栃木の各県令を歴任し、警視総監となって「保安条例」の執行を指揮して、自由民権派に憎悪された三島通庸(みしま みちつね)が、1888年に亡くなった日です。

1835年、薩摩(鹿児島県)藩士の長男として生まれた三島通庸(幼名・弥兵衛)は、少年のころから示現流剣術や兵学を学び、1862年には有馬新七らの寺田屋事件にかかわって謹慎を命じられるものの、やがて藩主島津忠義によって人馬奉行に抜てきされ、鳥羽・伏見の戦いから、東北征伐の戊辰戦争に従軍しました。1871年、大久保利通の計らいによって新政府に出仕すると東京府の役人になったのを皮切りに、1874年酒田県令(いまの山形県知事)、1882年福島県令、1883年栃木県令(福島と兼任)を歴任しました。

この県令時代に、酒田では「ワッパ騒動」という長期間にわたる農民闘争を鎮圧し、福島では山形、新潟、栃木にわたる三方道路など大土木工事を計画し課税したことで、福島の自民党員や農民たちが反対運動をおこすと、2千人もの指導者を逮捕・投獄しました(福島事件)。また栃木でも、土木工事を計画し、反対住民や自由民権運動家を弾圧する「加波山事件」を引き起こすなど、その強引な手法に「鬼県令」とか「土木県令」といわれ、住民たちからの反発をかいました。

さらに、内務省土木局長(県令と兼任)、1885年には警視総監となると、高まりはじめた自由民権運動に対抗するため、1887年に「保安条例」を出して、旧自由党員や改進党員ら3千人を逮捕し、尾崎行雄ら570人に皇居から3里(約12km)外に退去させました。
 
この条例が施行されると、伊藤博文総理からあまりに厳格すぎるのでしばらく中止せよといわれると、三島は辞表を提出、伊藤が折れて辞表を撤回されたといわれるほど、典型的な明治官僚でした。その後三島は、政府内の発言力を増し、大隈重信の入閣問題がおきると、入閣反対運動をおこすものの、病に倒れました。


「10月23日にあった主なできごと」

1849年 西園寺公望誕生…自由主義思想を支持し、2度総理大臣になるなど、明治・大正・昭和の3代にわたり活躍した政治家の西園寺公望が生れました。

1873年 征韓論争勃発…朝鮮への派兵をめぐって、この日政府内に激しい論争がおこりました。西郷隆盛や板垣退助らは鎖国を続ける朝鮮を武力で開国させようと主張したのに対し、岩倉具視や大久保利通らが内政を優先させることが先決とこれに反対しました。結局、西郷と板垣らは論争に敗れて、翌日要職を辞任して政府を離れました。

1973年 オイルショック…10月はじめに第四次中東戦争が勃発。石油輸出国機構(OPEC)に加盟しているペルシア湾岸産油6か国は、原油公示価格の21%引き上げ、原油生産の削減とイスラエル支援国への禁輸をこの日に発表、第1次オイルショックの引き金となりました。日本では、原油価格と直接関係のないトイレットペーパーや洗剤などの買占め騒動がおきたり、デパートのエスカレータの運転中止などの社会現象も発生するなど、高度成長にストップがかかる事態に陥りました。
投稿日:2014年10月23日(木) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)