« 2016年01月19日 | 児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top2016年01月21日 »

最新記事【2016年01月20日】


● 今日(1月20日)の主なできごと

1709年 「生類憐れみの令」廃止……10日前に徳川綱吉が死去したことにより、6代将軍家宣は、悪法といわれたこの条例の廃止を通達。

1869年 薩長土肥藩主「版籍奉還」……明治維新の立役者となった薩摩・長州・土佐・肥前藩の4藩主は、大久保利通、木戸孝允ら明治新政府の指導者に土地(版)と人民(籍)を天皇に還すよう説得され、しぶしぶながらも連名で「版籍奉還建白書」を政府に提出。

1916年 警視庁「救急業務」開始……警視庁消防部は、東京に救急車6台を配備し、救急呼び出し119番を決定して公設救急業務を開始。

1926年 ダイヤル式自動電話の設置……日本で初めてダイヤル式自動電話機が、東京・京橋電話局に設置された。それまでの電話は、電話交換手に相手先を伝えて接続してもらっていた。

1947年 学校給食……太平洋戦争後の食糧難で栄養失調となる児童を救うため、アメリカの慈善団体ララ(アジア救済連盟)から贈られた脱脂粉乳などの物資をもとに、全国主要都市の小学生およそ300万人に学校給食がはじまった。

1980年 モスクワ五輪ボイコット……アメリカのカーター大統領は、前年末にソ連軍がアフガニスタンへ侵攻したのに対し、「1か月以内の撤兵がない場合はモスクワ五輪をボイコットする」とソ連に表明。結局、期限内の撤兵がなかったことで、アメリカ、日本、中国など35か国が不参加という変則的なオリンピックとなった。


● 今日の主な記念日・恒例日

二十日正月……正月の終りとなる節目の日とする土地が多く、京阪神地方では、正月に用いた魚の骨や頭を野菜などとともに煮て食べることから骨正月・頭正月ともいう。

二十日夜祭……岩手県平泉の毛越寺でおこなわれる常行堂の摩多羅神(またらじん)祭の最終日、僧侶たちが「延年の舞」という歌や踊りを披露して、人々の長寿を祈願する平安時代から続く行事。
 

● 今日生まれた人

1857年 植木枝盛……政治家。自由民連運動の指導者として板垣退助らと国会開設に尽力。

1873年 岩野泡鳴……明治・大正期の小説家・評論家。代表作『耽溺』『放浪』、『神秘的半獣主義』(評論)など。

1875年 ミレー…フランスの画家。代表作『晩鐘』『落ち穂ひろい』など。

1894年 西脇順三郎……大正・昭和期の詩人・英文学者。

1899年 高柳健次郎……大正・昭和期の電子科学技術者。世界初の電子式テレビ受像機を完成させ、テレビ放送実用化に尽力。

1904年 片岡千恵蔵……映画俳優。主な作品『多羅尾伴内』『金田一耕助』『いれずみ判官』各シリーズ、『血槍富士』『十三人の刺客』など。

1909年 山野愛子……美容家。1925年に美容院を開業して成功をおさめ、戦後に美容学校を設立して美容師の育成と地位の向上に貢献。

1921年 吉田正……作曲家。国民栄誉賞受賞。代表作『異国の丘』『好きだった』『有楽町で逢いましょう』『潮来笠』『いつでも夢を』など。

1923年 三国連太郎……映画俳優。主な作品『陸軍残虐物語』『ビルマの竪琴』『飢餓海峡』『利休』『息子』『釣りバカ日誌』シリーズなど。

1930年 いずみたく……作曲家。代表作『見上げてごらん夜の星を』『いい湯だな』『ゲゲゲの鬼太郎』など。

1931年 中村八大……作曲家。代表作『上を向いて歩こう』『こんにちは赤ちゃん』『明日があるさ』など。

1931年 有吉佐和子……小説家。代表作『紀の川』『恍惚の人』『華岡青洲の妻』など。



● 今日亡くなった人

1184年 源(木曽)義仲……平安時代後期の武将。いとこの源頼朝・義経らに討たれた。

1200年 梶原景時……平安時代後期から鎌倉時代前期の武将。

1900年 ラスキン……イギリスの評論家。代表作『近代画家論』『建築の7つの灯り』『胡麻と百合』など。

1990年 東久邇稔彦……皇族・陸軍軍人。太平洋戦争後の1945年8月17日、鈴木貫太郎の後を継いで内閣総理大臣に就任。

1993年 ヘップバーン……ベルギー生まれのアメリカ映画女優。主演代表作『ローマの休日』『ティファニーで朝食を』『シャレード』など。


● 過去のマイブログ「1月20日」のテーマ

2015年ブログ 「大悪人?」 梶原景時
平安時代末期の「石橋山の戦い」で、のちに鎌倉幕府を立ちあげた源頼朝を救ったことから頼朝に重用されるものの、頼朝の死後に追放された梶原景時(かじわら かげとき)が、1200年に亡くなった日です。梶原氏は桓武平氏の流れをくむ豪族の出身。1180年、以仁王の平氏追討の令司を受けて源頼朝が伊豆で挙兵し相模の「石橋山の戦い」に敗れたとき、梶原景時は平氏方の大庭景親の部下でありながら、山中に隠れていた敵将の頼朝を発見するものの、故意にみのがしました……。

2014年ブログ 「永遠の妖精」 ヘップバーン
映画『ローマの休日』をはじめ、『ティファニーで朝食を』『シャレード』『マイ・フェア・レディ』など、可憐で繊細な魅力を発揮する銀幕のスターとして世界じゅうの人々を魅了したオードリー・ヘップバーンが、1993年に亡くなった日です。1929年、貿易商の父とオランダ貴族出身の母との子としてベルギーのブリュッセルに生まれたオードリー・ヘップバーンは、5歳のころ戦争をさけるためにイギリスへ渡りました。

2012年ブログ 義経らにやぶれた源義仲
平安時代末期の源氏の武将で京を制圧するものの、いとこの源頼朝・義経らに討たれた源義仲(みなもとの よしなか)が、1184年に亡くなった日です。 義仲は、「木曽義仲」とも呼ばれています。1154年、鎌倉幕府を開いた 源頼朝らの父である源義朝の弟・源義賢(よしかた)の次男として生まれた義仲(幼名・駒王丸)は、2歳のとき、父がおいの義平に殺されたため、信濃国(長野県)木曽山中へ逃れ、中原兼遠のひごを受けて育ちました……。

2011年ブログ 「おもしろ古典落語」2回目 時そば
これまた人気の高い落語のひとつ『時そば』というばかばかしい「お笑い」を一席。「夜鷹そば」とも呼ばれた、屋台の二八そば屋へ、冬の寒い夜に飛びこんできた男がいます。「おうッ、何ができる? 花巻にしっぽく? しっぽく、ひとつこしらいてくんねえ。どうだい、寒いじゃねぇか」「今夜はたいへんお寒うございます」「どうでぇ商売は? いけねぇか? まあ、あきねぇってぐらいだから、飽きずにやんなきゃいけねぇ」「ありがとうございます。親方、うまいことおっしゃいますなぁ」……。

2010年ブログ 若き大統領・ケネディ
わずか43歳で第35代アメリカ大統領となったケネディが、1961年に就任した日です。この日の就任演説で「わたしは、人類の敵である悪い政治や、戦争や、貧しさや、病気などをなくすために戦います」 に続く次の2つのメッセージは、世界の人たちに大きな感銘を与えました……。

2009年ブログ 農民画家・ミレー
『晩鐘』や『落ち穂ひろい』などの名画で、ふるくから日本人に親しまれているフランスの画家ミレーが、1875年に亡くなった日です。ジャン・フランソア・ミレーは、1814年、フランス西北部の小さな村で生まれました。家は、まずしい農家でした。しかし、畑しごとをしながら教会の合唱団の指揮者をつとめる父や、神を深く信仰する祖母などにかこまれて、ミレーは、そぼくな田園とはたらく農民たちを愛する人間に育っていきました……。

2006年ブログ オズの魔法使い
1987年に刊行した英国レディバード社とのタイアップ企画第3弾、「レディバードブックス特選100点セット」のうち、主な作品の内容を紹介してみよう。今回は、アメリカの作家バウム(1856―1919)が1900年に発表した「オズの魔法使い」……。
投稿日:2016年01月20日(水) 05:16

2016年01月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)