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最新記事【2015年09月07日】

今日9月7日は、戦前の中国・満州・日本において、中国人歌手・女優の李香蘭(り こうらん)として知られ、戦後は日本人として、歌手・女優・司会者・政治家で活躍した山口淑子(やまぐち よしこ)が、2014年に亡くなった日です。

1920年、今の中国東北部の奉天(今の瀋陽)に、満鉄(南満州鉄道)に勤務しながら中国語を教えていた佐賀県出身の父のもとで生まれた山口淑子は、生まれてまもなく父の友人瀋陽銀行総裁李際春と養子縁組を結び、1933年に李香蘭の名で「満州新歌曲」を歌いました。1934年に北京の女学校で学び、1937年に卒業するとその翌年にその美貌を買われて、満州映画協会(満映)に中国人女優李香蘭としてデビューをはたし、いくつかの作品に出演しました。

1939年、日満親善女優使節として来日、東宝や松竹の映画『支那の夜』『蘇州の夜』に主演、その主題歌をヒットさせました。また、1941年2月11日「紀元節」(今の建国記念日)には、日本劇場での「歌う李香蘭」に出演すると、大勢のファンが10万人も押し寄せ、日劇の周囲を七周り半もの観客が取り巻いたため、消防車が出動・散水し、群衆を移動させるほどの騒動だったと伝えられています。その後、慰問歌手として戦地をかけめぐり、1944年に満映を退社しました。

日本の敗戦後は、「漢奸」として祖国を裏切った容疑で中華民国の軍事裁判にかけられたものの、日本人であることが証明され、国外追放処分となって日本に引き揚げました。当時の本名山口淑子の名で芸能活動を再開すると、映画『わが生涯の輝ける日』や『暁の脱走』などに主演し、歌手としても「夜来香(イエライシャン)」を大ヒットさせたほか、アメリカのハリウッド映画『東は東』に出演したり、香港の映画・ショービジネス界でも活躍をしました。その間、1951年に彫刻家のイサム・ノグチと結婚して話題になるものの離婚、1958年に外交官の大鷹弘と再婚して1958年に芸能界を去りました。

1969年、フジテレビの「3時のあなた」の司会者として芸能界へカムバックを果たすと、番組ではベトナム戦争中の南ベトナムやカンボジア、中東などの海外取材を行うなど人気を呼びました。1974年には参議院全国区に出馬して当選すると3期18年を務め、その間環境政務次官を歴任、1992年に引退しました。

その後は、女性のためのアジア平和国民基金の呼びかけ人となって同基金の副理事長を務めたり、2006年には日本チャップリン協会の名誉顧問に就くなどの活動をしました。


「9月7日にあった主なできごと」

1533年 エリザベス一世誕生…1558年、25歳のときから45年間イギリスをおさめ、おとろえかけていたイギリスを、世界にほこる大帝国にたてなおしたエリザベス一世が生まれました。

1962年 吉川英治死去…『宮本武蔵』『新・平家物語』『新書太閤記』など人生を深く見つめる大衆文芸作品を数多く生み出して、国民的作家として高く評価された吉川英治が亡くなりました。
投稿日:2015年09月07日(月) 05:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)