「暴君?」 ネロ
今日6月9日は、ローマに大火を放ち、キリスト教を迫害した暴君として知られる古代ローマ帝国第5代皇帝ネロが、68年に亡くなった日です。
37年、第4代ローマ皇帝クラウディウスと、2度目の妃アグリッピナの子として生まれたネロは、54年に母が夫を殺害したことで、ネロは16歳で第5代皇帝に即位しました。ネロの治世がはじまった5年間は、家庭教師でもあった哲学者セネカや近衛長官のブルスの補佐を受け、名君の誉れ高いものでした。
ところがネロは数年もすると、皇帝の母というより共同統治者のような振る舞いをするアグリッピナをうとましく感じるようになりました。さらに政治だけでなく交友関係にまで介入するようになると、59年にネロは、アグリッピナの暗殺を決意し、あらかじめ細工をしていた船を沈没させ、殺害したといわれています(毒殺説もあり)。
62年にブルスが亡くなりセネカも引退すると、相談相手を失ったネロは、ギリシア文化を愛し、芸術と詩の吟唱を楽しみ、闘争を嫌った自制心とモラルに欠けはじめました。ティゲリヌスらにそそのかされて有力者を処刑して財産を没収するなど、政治はしだいに破綻しだし、財政は乱れ、通貨の悪鋳によって物価が高騰します。市民の眼をそらすため、肉体の美しさを重んじるギリシアにならって体育祭を開き、元老院議員たちを選手として参加させたり、自らも戦車競争や詩の発表会に参加したりと、若い皇帝はしだいに奔放な生活を送るようになりました。
61年、有名なローマの大火が起きますが、市民の間でネロが人気回復のために放火したといううわさが広がり、適当な犯人を見つける必要に迫られたネロは、犯人としてキリスト教徒の摘発を行いました。当時のキリスト教は、イエスの死から30年ほどを経たカルト的な地下組織であり、ローマ市民にすればうす気味の悪い集団でしかありませんでした。キリスト教徒のモラルが賞讃されるようになるのは後の五賢帝時代を過ぎてからであり、当時の大勢にネロが乗り、公開処刑して迫害を加えたことは、ネロの大きな失策となりました。
ネロの政治に対する不満は引きつづき、68年にガルバ総督による反乱が勃発すると、各地で同調者が現れ、ネロがローマを出たすきをねらって元老院は皇帝を「国家の敵」として追放を宣告、ネロはローマ郊外にのがれて自刃したのでした。
「6月9日にあった主なできごと」
1671年 ピョートル大帝誕生…ロシアをヨーロッパ列強の一員とし、バルト海交易ルートを確保したピョートル大帝が生まれました。
1781年 スチーブンソン誕生…蒸気機関車の実用化に成功したイギリスの技術者スチーブンソンが生まれました。
1870年 ディッケンズ死去…『オリバー・ツイスト』『クリスマスキャロル』『二都物語』 など弱者の視点で社会諷刺した作品群を著しイギリスの国民作家といわれるディケンズが亡くなりました。
1886年 山田耕筰誕生…『からたちの花』『赤とんぼ』『この道』などの作曲をはじめ、世界的に著名な交響楽団を指揮するなど、国際的にも活躍した音楽家山田耕筰が生まれました。
1923年 有島武郎死去… 志賀直哉・武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加し、『一房の葡萄』『カインの末裔』『或る女』などの小説、評論『惜みなく愛は奪ふ』を著した有島武郎は、この日軽井沢の別荘で雑誌編集者と心中、センセーションをまきおこしました。
投稿日:2015年06月09日(火) 05:22