« 2015年06月09日 | 児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top2015年06月11日 »

最新記事【2015年06月10日】

今日6月10日は、『上を向いて歩こう』『こんにちは赤ちゃん』『遠くへ行きたい』など、1950年代末から1960年代にヒット曲を量産した作曲家の中村八大(なかむら はちだい)が、1992年に亡くなった日です。

1931年、今の中国の青島(チンタオ)に生まれた中村八大は、小学3年のときからドイツ人の音楽家からピアノを学び、1945年に福岡県久留米市へ引き揚げ、旧明善中学を卒業後に上京、早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学芸術学科を卒業しました。学生時代からジャズピアニストとして活躍し、大学在学中はジョージ川口、松本英彦、小野満とジャズバンド「ビッグ・フォー」を結成して注目を浴びました。卒業後の1953年からは、ジョージ川口率いるカルテット「ビッグ4」のメンバーとなり、当時の大衆的ジャズブームの中で大変な人気を博しました。

1958年に作詞家の永六輔と知り合うと、作曲家としての活動に転じ、2人の「六・八コンビ」による都会的で情感あふれ、覚えやすいユニークな歌曲は、次々とヒットを飛ばします。『黒い花びら』(1958年・歌水原弘)、『こんにちは赤ちゃん』(1963年・歌梓みちよ)は、日本レコード大賞を受賞したほか、『遠くへ行きたい』(1962年・歌ジェリー藤尾)、『帰ろかな』(1965年・歌北島三郎)も話題となりました。

最大のヒット曲は、1961年の『上を向いて歩こう』(歌坂本九)でしょう。国内で大ヒットしたばかりか、アメリカでは『スキヤキ・ソング』という曲名で、全米週間第1位を記録したほか、海外60か国でヒットさせ、この作品は、特に「六・八・九」コンビといわれました。

さらに八大は、日本万国博のテ―マソング『世界の国からこんにちは』を作曲し、1967年から三波春夫、坂本九、吉永小百合らが競作で歌ったことで、総売上げ枚数は300万枚を超えたといわれています。また、1966年リオデジャネイロで行われた「第1回国際音楽祭」では、最優秀オーケストラ編曲賞を受賞しています。


「6月10日にあった主なできごと」

1017年 源信死去…平安時代中ごろの天台宗の僧で、『往生要集』を著して浄土教を広め「恵心僧都(えしんそうず)」と讃えられた源信が亡くなりました。

1628年 徳川光圀誕生…水戸黄門の名でしたしまれ、徳川家康の孫にあたる第2代水戸藩主の徳川光圀が生まれました。

1863年 緒方洪庵死去…大坂に適々斎塾(適塾)を開き、福沢諭吉や大村益次郎らを育てた教育者として、また蘭医として種痘を広め天然痘の予防に尽力した緒方洪庵が亡くなりました。

1920年 時の記念日…「日本書紀」によると 天智天皇(中大兄皇子) が「漏刻」という水時計を作り鐘を打った日と記されています。東京天文台と生活改善同盟会はこれを記念して「時間を大切にすることを、改めて考え直そう」と呼びかけ、この日を「時の記念日」に制定しました。
投稿日:2015年06月10日(水) 05:45

2015年06月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)