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最新記事【2015年02月18日】

今日2月18日は、封建制度下、苦難の末に平明で力強い救済観を展開する天理教を生み出し、新国家の弾圧にもめげず全国的に発展させた中山みきが、1887年に亡くなった日です。

1798年、今の奈良県天理市に、地主前川家の長女に生まれた中山みき(本名・前川美伎)は、幼いころから両親の影響を受けて浄土宗の熱心な信者となりました。1810年、13歳で近郊の裕福な庄屋中山家に嫁ぐと、封建的な家族制度、身持ちの悪い夫、家事や農事などの重労働に苦しみました。その苦しみを浄土宗へ救いを求め、19歳の時に念仏信仰法話の最高段階「五重相伝」を受けたほどでした。

しかし、浄土の信仰によっても、自己犠牲と忍従の暮らしは続き、年ととも苦悩は増すばかりでした。そして1838年、子どもを相ついで亡くし、さらに長男が足の痛みに苦しみはじめました。そのため山伏が呼ばれて祈祷が行われたときのこと。みきは突然神がかりし、「われは天の神、三千世界の助けのために、天から降ってきた」といいはじめたのです。これが、[人間の陽気ぐらしをもとに、喜びと光に満ちた平和な世界を建設] することを信仰の最終目的とする「天理教」のはじまりでした。

生き神様となることで、みきはしばりつけられていた「家」から解放されましたが、神の命に従って、近隣の貧民に惜しみなく財を分け与えために、中山家は没落の一途をたどります。しかしみきは、安産と病気治しの生き神として評判になり、周辺の農村で布教活動を行うようになりました。

しだいに、みきの教えに従う人の数も増え、1864年に「つとめ場所」を建築したほか、各地に出向いて布教をはじめると、迫害も増え、時には陣屋に呼び出され、神をまつるのを禁止されることもありました。1867年にかぐらのてぶりや鳴り物の入った『みかぐらうた』を書き、京都神祇管領吉田家に願い出て、布教認可を得て公認となったことで、迫害は収まったかにみえました。ところが、1869年から『おふでさき』の執筆を開始し、権力の没落などを歌いはじめると、官憲からたびたび弾圧を受けるようになりました。さらに、1872年新政府が教部省を設置して国民教化がはじまると、民間宗教は厳しい圧迫を受け、これ以降みきは、18回も拘留・投獄されました。

この弾圧にもめげず、天理教は全国的な発展を続け、教団幹部はみきの意に反して、国家神道のわくの中で活動を合法化する工作を進めました。89歳となったみきは、1886年に警察に12日間拘留され、この弾圧により病床につき、信仰が法律にも政治的支配にも優越することを教えながら、90年の生涯を閉じたのでした。


「2月18日にあった主なできごと」

1207年 法然と親鸞流刑…「南無阿弥陀仏」と念仏をとなえれば、来世で極楽浄土に生まれかわることができると説く「浄土宗」を開いた法然と弟子の親鸞は、旧来の仏教宗派に念仏の中止を訴えられ、法然は土佐に、親鸞は越後に流されました。

1546年 ルター死去…ドイツの宗教家で、免罪符を販売するローマ教会を批判し、ヨーロッパ各地で宗教改革を推し進めたルターが亡くなりました。

1564年 ミケランジェロ死去…レオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロと並び、ルネッサンスの3大巨匠といわれる彫刻家・画家・建築家・詩人として活躍したミケランジェロが亡くなりました。

1930年 冥王星の発見…アメリカの天文学者トンボーは、存在が予測されていた冥王星を発見し、太陽系の一番外側を回る9番目の惑星とされました。しかし、2006年に国際天文学界は、惑星ではない「準惑星」に分類しました。
投稿日:2015年02月18日(水) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)