「血まみれ」 のメアリー1世
今日11月17日は、イングランドとアイルランドの女王で、300人もの新教徒を処刑したメアリー1世が、1558年に亡くなった日です。
1516年、ヘンリー8世と最初の王妃キャサリンの娘としてグリニッジ宮殿で生まれたメアリーでしたが、1531年に母が父に離縁されたために冷たく扱われ、熱心なカトリック信者になりました。1537年にヘンリー8世の後をついだ異母弟のエドワード6世が新教(国教会)寄りの政策をすすめても、国教会への恭順を拒んで、迫害を受け続けました。
1553年、エドワードの死去によりメアリー1世として即位すると、翌1554年に旧教国スペイン王子のフェリペ(のちのフェリペ2世)と結婚し、イギリスにカトリックを復活させようとしました。ローマ教会に復活するとなると、国教会財産の没収などの経済問題もからまって、国民の反感がまきおこります。メアリー1世はこれをおさえこみ、とくに強く反対するおよそ300人以上の国教徒を処刑したため、「血まみれのメアリー」といわれました。
さらに、1557年にはスペインにそそのかされて、スペインの対フランス戦争に宣戦した結果、戦争のための重税に加え、イギリスの最後の大陸領地カレーを失ったことで国民のメアリー1世への反感はつのり、その不評と失意のうちに亡くなったのでした。
王位は、国教徒である義妹で「よき女王べス」と呼ばれたエリザベス1世に引き継がれ、「栄光の時代」へと移っていきました。
「11月17日にあった主なできごと」
1869年 スエズ運河開通…フランスの建設者レセップスは、さまざまな苦難の末に、地中海と紅海を結びインド洋へとつながる海の交通の要・スエズ運河を10年がかりで建設し、開通させました。驚くほどの運輸労力・費用の軽減、政治的・軍事的重要性のために各国の争奪戦となり、当初フランスが中心だった同運河は、1875年からイギリスが支配し、1956年にエジプトが国有化しました。
1922年 アインシュタイン来日…相対性理論で名高いドイツの物理学者アインシュタインが来日し、約1か月間の滞在中、東京、大阪、仙台、福岡などで講演を行いました。ノーベル賞を受賞したばかりの時で、会場はどこも学者や学生を中心に満席だったと伝えられています。
投稿日:2014年11月17日(月) 05:57