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最新記事【2014年10月21日】

今日10月21日は、『帆・ランプ・鴎』『幼年』『仙境』『月渡る』などの詩集で知られる詩人の丸山薫(まるやま かおる)が、1974年に亡くなった日です。

1899年、大分県大分市で生まれた丸山薫は、幼いころから父の転勤の影響で各地を転々とし、12歳で母方の祖父の住む愛知県豊橋市に移りました。冒険小説を読んで海にあこがれるようになり、船乗りになろうと周囲の反対を押し切って東京高等商船学校に入るものの、脚気のため1年で退学しました。その後、旧制第三高校(今の京都大)では桑原武夫、三好達治、梶井基次郎らと親交を持って卒業後、東京帝国大学国文科に入学すると、詩作を開始し、「新思潮」の同人となって船や海、異国へのあこがれの詩を発表して注目されるようになりました。

1928年、詩の活動に専念しようと大学を中退、1932年に第1詩集『帆・ランプ・鴎』を刊行しました。これは34編からなるわかりやすい散文詩の体裁をとり、少年や動物たちを描写したことで、「昭和の抒情詩」のひとつの方向性を示したとして津村信夫や立原道造らに影響を与えました。1933年に堀辰雄や三好達治らと雑誌「四季」を創刊し、多くの作品を発表して詩壇に新風を吹きこみ、1935年には『鶴の葬式』『幼年』で文芸汎論詩集賞を受賞しています。

終戦をはさんで1944年〜48年までは、山形県西川町岩根沢に疎開し、そこで岩根沢国民学校の代用教員をしました。教壇に立つかたわら地域の住人と深いかかわりをもちながら詩作活動を続け、この地を舞台に『北国』『仙境』など4冊の詩集を出しました。この地で丸山が灯した文化の灯は絶えることなく、1972年に教鞭をとった小学校の校庭に次の詩碑が建てられました。

人目をよそに
春はいのちの花を飾り
秋には深紅の炎と燃え
あれら山ふかく
寂莫に生きる木々の姿が
いまは私になった

さらに没後の1990年には、同地に「丸山薫記念館」が開館され、書籍や遺品などを展示しています。

その後丸山は、1948年に豊橋市に移り、愛知大学講師、客員教授を務めました。生涯に発表した詩集は16冊、代表作は上記の他に『物象詩集』『月渡る』『青春不在』。他に短編小説集『蝙蝠館』やエッセイ『蝉川襍記』があります。


「10月21日にあった主なできごと」

1520年 マゼラン海峡発見…スペイン王の協力を得て、西回りで東洋への航路をめざしたポルトガルの探検家マゼランは、出発からすでに1年が経過していました。そしてこの日、南アメリカ大陸の南端に海峡(マゼラン海峡)を発見、7日後の28日に南太平洋に到達しました。マゼランは、翌年3月にフィリピンで原住民の襲撃にあって死亡。9月に乗組員が世界一周を終えてスペインに到着したときは、5隻の船は1隻に、256名の乗組員はわずか18名になっていました。

1684年 徳川吉宗誕生…江戸幕府第8代将軍で、「享保の改革」という幕政改革を断行した徳川吉宗が生まれました。

1805年 トラファルガーの海戦…スペインのトラファルガー岬の沖で、ネルソン率いるイギリス海軍がフランス・スペイン連合艦隊に勝利しました。しかし、旗艦ビクトリア号で指揮していたネルソンは、狙撃されて死亡しました。

1871年 志賀直哉死去…長編小説「暗夜行路」などを著し、武者小路実篤とともに「白樺派」を代表する作家の志賀直哉が亡くなりました。
投稿日:2014年10月21日(火) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)