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最新記事【2014年10月17日】

今日10月17日は、海軍の長老としてロンドン海軍軍縮会議の調印につなげ、「二・二六事件」で襲撃された当時の首相をつとめ、太平洋戦争終結の道筋をこしらえた岡田啓介(おかだ けいすけ)が、1952年に亡くなった日です。

1868年、福井藩士の長男として生まれた岡田啓介は、1884年に旧制福井中学を卒業後に上京し、陸軍軍人をめざしましたが、親類の海軍士官に勧められて海軍兵学校に入りました。日清戦争では、東郷平八郎の艦長の浪速に搭乗、豊島沖海戦に参加。1901年海軍大学校を卒業後、日露戦争にも出征、第一次世界大戦では第二水雷戦隊司令官として青島の戦いに参戦しました。1923年に海軍次官、1924年に連合艦隊司令長官に任じられ、1927年に田中義一内閣で海軍大臣となりました。

岡田が元老の西園寺公望や政界に注目されるのは、1929年に軍事参議官になってからです。1930年に浜田雄幸内閣は、補助艦に関する軍備制限を取り決めるロンドン海軍軍縮会議に参加しますが、海軍内の条約調印反対派の抵抗にてこずっていました。これを「軍拡による米英との戦いは避け、国力の充実に努めるべし」と調停し、条約調印にこぎつけたのが岡田でした。

1932年「五・一五事件」後の斎藤実内閣でも海軍大臣に就任、1933年に65歳の停年となって後備役となりましたが、1934年、西園寺の推挙を受けて内閣総理大臣となり、疑獄事件「帝人事件」後に倒れた斎藤実の後継として挙国一致内閣を組織しました。しかし、多数派の立憲政友会が入閣した高橋是清らを除名して対決姿勢に回ったり、天皇機関説をめぐる問題で岡田内閣が機関説支持とみられたため、陸軍皇道派や、国家主義勢力から攻撃されることになりました。

1936年1月に野党の立憲政友会による内閣不信任案の提出が行われ、これに対し岡田は解散総選挙を実施。2月20日に行われた第19回衆議院議員総選挙で与党の民政党が逆転第一党となり、政友会は党首鈴木喜三郎の落選などの大打撃を受けました。そして6日後、青年将校たちが1483名もの部隊を率いるクーデター(二・二六事件)をおこし、反乱軍は岡田の殺害をねらって首相官邸を襲撃しますが、顔の似ていた首相秘書官で義弟の松尾伝蔵が身代わりとなって殺害され、2週間後に岡田内閣は総辞職しました。

以後は閑居していましたが、1937年重臣の列に加わり、1941年には対米戦争反対を説いたものの近衛内閣に一蹴され、太平洋戦争末期の1944年には、東条内閣打倒の運動を行い、若槻礼次郎、近衛文麿、米内光政、かつての政敵だった平沼騏一郎ら重臣を説きふせて総辞職に追い込み、終戦への道筋を作りました。

戦後、極東国際軍事裁判で主席検察官を務めたキーナンは、岡田、米内、若槻、宇垣一成の四人を「戦前日本を代表する平和主義者」と呼び、パーティーに招待して歓待しています。そして1952年に岡田は、サンフランシスコ平和条約が発効してGHQによる占領を終え、日本の主権回復を見届けながら、85年の生涯の幕を閉じたのでした。


「10月17日にあった主なできごと」

1849年 ショパン死去…ピアノの形式、メロディ、和声法など、これまでにない表現方法を切り開き「ピアノの詩人」と呼ばれた作曲家ショパンが亡くなりました。

1887年 横浜に日本初の水道…江戸時代末に開港したものの人口の急増のために水不足となり、コレラが流行したこともあって、近代的な水道が急がれ、この日横浜で使用されるようになりました。
投稿日:2014年10月17日(金) 05:51

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)