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最新記事【2016年03月17日】


● 今日(3月17日)の主なできごと

1220年 サマルカンド征服……モンゴルの征服者チンギス・ハンは、インドから黒海に至る交通路を占めていたホラズム・シャー朝の首都サマルカンド(現・ウズベキスタン)を徹底的に破壊し、数十万という人口の3/4を殺害した。

1945年 硫黄島玉砕……2か月ほど前から小笠原諸島の南西にある硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間に生じていた戦闘は、この日、アメリカ軍は猛爆を加え、日本軍2万3千人のうち捕虜になった210人を除く全員が戦死、アメリカ軍に島を奪取されてしまった。このため、アメリカ軍は日本本土空襲の理想的な中間基地を手に入れ、東京大空襲、名古屋大空襲、大阪大空襲を続けざまに実施、日本軍は、勝ち目のほとんどない絶望的な本土戦を余儀なくされた。

1988年 東京ドーム完成……日本初の屋根付き球場「東京ドーム」が落成。このドームは内側の気圧を外より高くして、400トンある屋根を膨らませているため「ビッグエッグ」の愛称がついている。5万5千人の客席があり、野球の他、他のスポーツやコンサートにも使用されている。


● 今日の主な記念日・恒例日

漫画週刊誌の日……1959年のこの日、日本初の少年週刊誌『少年マガジン』が講談社から創刊された。当時の漫画は5本だけで、ニュース、スポーツ、科学、小説など読み物が大半だった。ところが1か月後に『少年サンデー』が小学館から発刊されると、手塚治虫、藤子不二雄らを起用して人気を得たため、『少年マガジン』もどんどん漫画に力を入れ、1960年代に入ると「巨人の星」(原作梶原一騎・作画川崎のぼる)や「あしたのジョー」(原作高森朝雄・作画ちばてつや)が大ヒットし、「少年漫画週刊誌」の競合時代になっていった。1968年には集英社も『少年ジャンプ』を創刊、1980年代に「ドラゴンボール」(鳥山明)などがヒットして、600万部以上の売上を記録。その後やや下火となったといわれるものの、今も少年漫画週刊誌は出版界の大きなシェアを占めている。


● 今日生まれた人

1797年 大原幽学……江戸時代後期の農政学者。

1834年 ダイムラー……ドイツの工業技術者。自動車開発のパイオニア。

1839年 月岡芳年……江戸時代後期の浮世絵師。代表作 『奥州安達が原ひとつ家の図』 『大日本名将鑑』 『月百姿』など。

1846年 グリーナウェイ……イギリスの挿絵画家。絵本画家。

1898年 横光利一……大正・昭和期の小説家。代表作『日輪』『頭ならびに腹』『機械』『旅愁』など。

1907年 三木武夫……昭和期の政治家。第66代首相。


● 今日亡くなった人

806年 桓武天皇……平安京を開いた第50代天皇。

1853年 ドップラー……オーストリアの物理学・数学・天文学者。ドップラー効果発見。

1914年 平出修……明治・大正期の歌人・小説家・弁護士。幸徳秋水事件を弁護。


● 過去のマイブログ「3月17日」のテーマ

2015年ブログ  『逆徒』 の平出修
「大逆事件」で幸徳秋水ら被告の弁護を務めた作家・歌人で弁護士の平出修(ひらいで しゅう)が、1914年に亡くなった日です。1878年、今の新潟市に庄屋の8男として生まれた平出(旧姓・児玉)修は、幼いころは身体が弱かったものの、記憶力に優れ、高等小学校を卒業後、地元の小学校の教師となりました。そのかたわら短歌や評論を雑誌「明星」に発表して……。

2014年ブログ  ドップラー効果
「ドップラー効果」を発見したことで知られるオーストリアの物理学者・数学者・天文学者ドップラーが、1853年に亡くなった日です。1803年、ザルツブルクに石工の子として生まれたクリスチアン・ドップラーは、病弱だったために家業を継ぐのをあきらめ、ウィーンの工芸学校を卒業後、同市の工業研究所の助手となり、大学教授となる目標をたてました……。

2010年ブログ  千年の都を開いた桓武天皇
794年から1869年までの千年以上も、日本の都として京都に平安京がおかれていました。この平安京を開いた第50代天皇の桓武天皇が、806年に亡くなった日です。桓武天皇は、光仁天皇の皇子として737年に生まれ、山部王とよばれました。しかし、初めは、天皇のあとをつぐ皇太子にはなれませんでした。母が渡来人の子孫で、純粋な日本人ではなかったからです……。

2009年ブログ  自動車の父・ダイムラー
ドイツの技術者で、自動車開発のパイオニアと讃えられるダイムラーが、1834年に生まれた日です。自動車の研究は、いまからおよそ400年くらいまえから、ヨーロッパで始められました。でも、自動車といっても、初めは帆かけ船のように帆を張って、風の力を利用して走るもので、そのつぎが蒸気や電気の力で走るものでした。ガソリンエンジンの自動車があらわれたのは19世紀末になってからのことで……。

2008年ブログ 何でもいうことを聞くのは「素直」なのではない
母親が子どものことを 「勉強はあまりできませんが、素直なだけがとりえです」 「親に逆らうようなことのない素直な子です」 などといいます。母親同士の会話の中にも 「素直が一番ですよ」 という言葉を耳にすることが少なくありません……。

2006年ブログ 世界に目を向け日本をみつめなおす
「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第9章「文化地理」の項を紹介してみよう。地球上の国ぐにが交際すること、あるいは、その国ぐにの人びとが交際することを 「国際」といいます。そして、戦後の日本では、「国際社会の一員として」 「国際社会に生きる」 「国際的な視野で」 「国際交流を活溌にしながら」 「国際人として」 というようことばが、日常語のように使われるように……。
投稿日:2016年03月17日(木) 05:53

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)