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最新記事【2015年07月10日】

今日7月10日は、日英同盟、日仏・日露協商の締結、初代駐英大使など外交官として活躍した林董(はやし ただす)が、1913年に亡くなった日です。

1850年、下総国佐倉藩(今の千葉県佐倉市)の優れた蘭医佐藤泰然の5男として生まれた董は、1862年に一家で横浜へ移り、宣教師のヘボン夫妻の設立したヘボン塾(のちの明治学院大)で、ヘボン夫人から英語を学び、1866年17歳で幕府御典医林洞海の養子となると、幕府の留学生としてイギリスへ留学しました。

帰国後、幕府に仕えていたため「戊辰戦争」で榎本武揚の率いる艦隊に身を投じ、箱館戦争では佐藤東三郎を名乗って戦うものの敗北、一時禁固となりました。しかし、その卓越した語学力と広い西欧知識を陸奥宗光や伊藤博文の知るところとなり、明治新政府に迎えられました。

1971年に神奈川県に出仕すると、同年11月の岩倉使節団(岩倉具視を正使とし、木戸孝允・伊藤博文・大久保利通ら政府首脳陣や留学生ら総勢107名で構成された10か月に及ぶ欧米使節団)に随行し、帰国後、工部省、逓信省、香川・兵庫の県知事を歴任後1891年に外務次官となって、外務大臣の陸奥とともにイギリスとの不平等条約改正に努力しました。

日清戦争では、陸奥を補佐して戦時外交を推進し、戦後は駐清公使として活躍した功績で男爵を授けられました。その後も日本が世界に進出するためには西欧強国と同盟する必要性を唱え続け、1902年1月駐英公使としてロンドンで「日英同盟」を調印しました。そして、日露戦争後の1905年12月、ロンドンの在英日本公使館が昇格して大使館となったことで、林は初代駐英大使に任命され、日本の外交官としては初の大使となりました。

その後も林は、1906年に第1次西園寺公望内閣の外相として日仏協商、日露協商を締結した功で伯爵に昇叙され、1911年の第1次西園寺内閣では逓信大臣となり、陸奥らと協調して、軍部の武断政治に抵抗しました。しかし、軍部の強硬論が勝ち、南満州鉄道(満鉄)が設立されると、「之れ、武人跋扈(ばっこ)の結果なり」と反対をとなえ、政界を引退しました。

なお、董の初代陸軍軍医総監の松本良順は実兄、娘の菊は福沢諭吉の次男捨次郎の配偶者、孫忠雄は三菱財閥の4代目総帥岩崎小弥太の養嗣子です。


「7月10日にあった主なできごと」

1509年 カルバン誕生…フランスの宗教改革者のカルバンが生れました。「カルバン派」は、オランダ、イギリス、フランスなど産業の盛んな地域に広まりました。

1821年 大日本沿海輿地全図…伊能忠敬が中心となって制作した日本全土の実測地図「大日本沿海輿地(よち)全図」が完成し、江戸幕府に献上されました。
投稿日:2015年07月10日(金) 05:35

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)