「マーシャルプラン」 のマーシャル
今日10月16日は、アメリカ陸軍参謀総長として第二次世界大戦を勝利に結びつけ、戦後の西ヨーロッパ復興に大きな貢献を果たした軍人・政治家のマーシャルが、1959年に亡くなった日です。
1880年、ペンシルベニア州ユニオンタウンに生まれたジョージ・マーシャルは、1901年にバージニア陸軍仕官学校を卒業し、翌年陸軍に入隊しました。フィリピン勤務等を経て、1914年に第一次世界大戦が始まると作戦参謀となり、1917年には第1歩兵師団作戦・教練担当少佐としてフランスに派遣されました。1918年にはヨーロッパ派遣軍最高司令官副官として活躍し、大戦を終結させました。
大戦後、1924年から3年間中国での任務につき、第二次世界大戦勃発によって1939年に少将となり、フランクリン・ルーズベルト大統領より第15代陸軍参謀総長に指名されると大将に昇進し、ヨーロッパ侵攻作戦の最高責任者となって勝利に導いたことで、1943年タイム誌の「マン・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれ、1944年には元帥に昇りつめました。
終戦後に軍を退くと、1945年12月、トルーマン大統領から中国における全権特使として中国を訪れ、国民党と共産党との争い(国共内戦)の調停にあたるものの大きな成果はえられず、1947年、国務長官に就任しました。そして同年6月、ハーバード大学の卒業式講演で「ヨーロッパ復興計画」を提唱します。これが、のちに「マーシャルプラン」として知られるもので、ソ連圏に対する西ヨーロッパの復興援助を供与する内容で、西欧諸国は、援助受け入れのために「ヨーロッパ経済機構」を設置し、1952年ころまでに130億ドルが供与されました。この援助は、アメリカの西欧諸国への影響力を強化し、NATO成立への経済的基盤となっていきました。
1949年国務省を退き、1952年に公務を引退。1953年にはマーシャルプランの立案と実行により、ノーベル平和賞を受賞しています。
「10月16日にあった主なできごと」
1012年 藤原道長絶頂期の歌…藤原氏の全盛をきずいた道長は、「この世をば わが世とぞ思ふ望月の かけたることも なしと思へば」という有名な歌を作りました。長女を一条天皇の、次女を三条天皇それぞれの皇后にし、そして三女を後一条天皇の皇后にしたこの日の祝宴で、自分の栄華を満月にたとえたものです。
1793年 マリー・アントワネット死去…フランス国王ルイ16世の王妃で、フランス革命の際に国外逃亡に失敗、この日38歳の若さで断頭台に消えました。
1946年 ナチス戦犯の絞首刑…南ドイツの都市ニュールンベルクで行なわれた、第2次世界大戦中にドイツが行なった戦争犯罪を裁く国際軍事裁判(ニュールンベルク裁判)は1日に最終判決がなされ、ヒトラーの片腕だった航空相ゲーリング、外相だったリッベントロップら12名は死刑をいいわたされていましたが、この日11名が13階段を登って絞首台に立ち処刑されました。(ゲーリングは処刑される寸前に拘置所で服毒自殺)
投稿日:2014年10月16日(木) 05:32