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最新記事【2014年10月14日】

今日10月14日は、童謡『青い眼の人形』をはじめ『七つの子』『赤い靴』『十五夜お月さん』『めえめえ小山羊』など、今も親しまれる歌をたくさん作曲した本居長世(もとおり ながよ)が、1945年に亡くなった日です。

1885年、東京御徒町に生まれた本居長世は、生後1年で母と死別。養子だった父が家を出たため、国学者の祖父に育てられました。やがて音楽家を志すようになり、1908年東京音楽学校(のちの東京芸術大)を首席で卒業すると、同期の山田耕筰とともに母校に残りました。

1909年ピアノ授業補助、翌年にはピアノ科助教授となり、中山晋平や弘田龍太郎らを育てています。邦楽を好んだ長世の関心は浄瑠璃、琉球歌謡、流行歌にまで及び、1920年には弘田龍太郎らと「如月社」を結成して、洋楽と邦楽の融合を模索するようになりました。この活動を通して、のちに尺八の吉田晴風や箏の宮城道雄と組んでの新日本音楽運動へと発展させ、民謡興隆の原動力となっています。

また当時、鈴木三重吉による児童雑誌「赤い鳥」が創刊されたことがきっかけとなって、これまでの唱歌に代わる「童謡」と呼ばれる新しい歌が人気を博していました。活躍する山田耕筰や中山晋平らに刺激されてこの童謡運動に加わると、1920年、雑誌「金の船」に『葱坊主』を発表。つづいて同年に発表した『十五夜お月さん』は、初の童謡歌手でレコード吹き込み第1号となる長女みどりの歌によって一躍有名となり、 以後は作詞の野口雨情と組んで、『七つの子』『青い眼の人形』(1921年)、『赤い靴』(1922年) などを次々と発表していきました。

その後、みどりや次女貴美子らとともに日本各地で公演を行い、1923年関東大震災により甚大な被害が発生すると、日系米国人を中心に、たくさんの援助物資が贈られました。その返礼として日本音楽の演奏旅行が企画され、長世も2人の娘とともに参加し、アメリカ各地で公演を行ったところ、特に『青い眼の人形』は絶賛を浴びたと伝えられています。(♪ 私は言葉がわからない 迷子になったらなんとしょう……) 遠い異国で、差別や苦難に耐えた日系1世、2世の人たちにとって、まるで自分自身の歌のように感じたのかもしれません。

長世の主要作品は、上記のほかに、おとぎ歌劇『月の国』、ピアノ曲『数え唄バリエーション』、童謡『めえめえ小山羊』『汽車ポッポ』などがあります。


「10月14日にあった主なできごと」

1867年 大政奉還…江戸幕府の第15代将軍徳川慶喜は明治天皇に、統治権を返上することを申し出ました。

1872年 日本初の鉄道開通…東京・新橋と横浜の間29kmに、わが国初の鉄道が開通しました。この日(旧暦9月12日=新暦10月14日)を記念して国鉄(今のJR)は、1922年から「鉄道記念日」として制定しました。1992年、運輸省(今の国土交通省)は「鉄道の日」と改め、私鉄も含め、全国各地で鉄道に関する行事を行っています。
投稿日:2014年10月14日(火) 05:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)