« 2015年10月30日 | 児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top2015年11月04日 »

最新記事【2015年11月02日】

今日11月2日は、戦前には、わが国女性解放運動の思想的原点といわれる数々の評論集を著し、敗戦後は、初代婦人少年局長になって女性・年少労働者の保護行政の基礎固めをした婦人問題研究家・評論家の山川菊栄(やまかわ きくえ)が、1980年に亡くなった日です。

1890年、開明的官僚の森田龍之助を父に、水戸藩儒学者の娘を母に東京に生まれた菊栄は、東京府立二女を経て、1912年女子英学塾(現津田塾大学)を卒業しました。やがて、幸徳秋水や堺利彦らの金曜講演会、大杉栄、荒畑寒村の平民講演会に出席して、社会主義への関心を深めました。1916年雑誌『青鞜』に伊藤野枝の廃娼運動批判に反対する論稿を寄せて論壇に登場すると、同年、講演会で知り合った社会主義者の山川均と結婚しました。マルクス主義の勉強を深め、欧米の著作を翻訳するかたわら、婦人の解放は社会保障制度を実現することによって達成するという信念から、明快な母性保護論争を展開し、いちやく女性論壇の第一人者となります。

1921年に日本初の社会主義婦人団体「赤瀾会」を結成し、同年メーデーに初参加、1922年に「八日会」の創立に手を貸すなど、社会主義女性グループの養成に尽くしました。いっぼう、1923年にはマルクス主義女性論の古典であるベーベルの『婦人論』を初めて完訳、普及させました。また、1925年に著した『婦人問題と婦人運動』は、日本の婦人運動に初めて批評的・科学的視点を持ちこんだ女性論の名著とされ、1925年から1927年にかけて展開された無産政党婦人部論争にも加わり、無産女性運動を理論的に指導しました。

1937年、夫の山川均が人民戦線事件で検挙され拘束されたときは、神奈川県で農業生活を体験し、柳田国男の指導を受けて『わが住む村』などの民俗的作品や、『武家の女性』などの社会史を残しました。

敗戦後の1947年、社会党に入党した菊栄は、片山哲内閣の発足したばかりの労働省(今の厚生労働省)初代婦人少年局長になり、1947年から1951年まで在任し、女性・年少労働者の保護行政の基礎固めをしました。退任後も、月刊誌『婦人のこえ』を発刊したり、婦人問題懇話会を組織し、女性問題の研究・啓蒙に尽くしました。1972年には『おんな二大の記』という自伝を刊行し、1974年には、母や故老からの聞き書き・祖父の日誌をもとにした『覚書 幕末の水戸藩』を著して、大仏次郎賞を受賞しています。

なお、菊枝の思想は、没後に『山川菊栄集』(10巻)や『山川菊栄女性解放論集』(3巻)にまとめられました。また1981年には、業績を記念して「山川菊栄賞」 が設立されました。


「11月2日にあった主なできごと」

1755年 マリー・アントアネット誕生…フランス国王ルイ16世の王妃で、フランス革命の際に国外逃亡に失敗、38歳の若さで断頭台に消えた悲劇の王妃マリー・アントアネットが生まれました。

1942年 北原白秋死去…『赤い鳥小鳥』『あわて床屋』『からたちの花』など800編もの童謡の作詞を手がけた詩人・歌人の北原白秋が亡くなりました。

1973年 トイレットペーパー買いだめ騒動…10月におきた第4次中東戦争が引き金となり、第1次オイルショックと呼ばれる石油価格高騰がおこり、品不足への不安から全国のスーパーにトイレットペーパーを求める主婦が殺到しました。
投稿日:2015年11月02日(月) 05:42

2015年11月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)