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最新記事【2015年01月13日】

今日1月13日は、配偶者の丸木位里とともに15部からなる連作『原爆の図』を描き、『ひろしまのピカ』など数多くの絵本を手がけたことで知られる女流洋画家の丸木俊(まるき とし)が、2000年に亡くなった日です。

1912年、北海道石狩平野の北にある秩父別町の寺の長女として生まれた俊(本名・俊子)は、18歳で上京し、苦学しながら女子美術専門学校(今の女子美術大)で洋画を学びました。1932年に卒業すると、小学校の代用教員をしながら文展や二科展に出品するものの、落選が続きました。1937年、たまたま外交官の子の家庭教師をしたことがきっかけで、モスクワに渡った際に描いたスケッチをもとにした作品が二科展に初入選し、画家をめざす決意を固めました。

1941年に、広島出身の日本画家丸木位里と結婚、美術文化協会に加入して、反戦の絵や平和を願う絵本を描きました。そして、1945年8月6日、原爆が投下された3日後に夫とともに広島に入り、救援活動を行うとともに、その惨状を目撃したことで、2人で墨絵という日本の伝統的な表現で描いた『原爆の図』の制作に取り組みました。1950年のアンデパンダンテ展に『原爆の図』の第1部を「幽霊」として出品したところ、大きな衝撃と反響をもたらしました。

これに力を得た夫妻は、以後「火」「水」と連作を続け、賛否の渦をまきおこしながらも、全国各地を巡って被爆の真実をうっえかけ、1952年の国際平和文化賞金メダルを受賞し、夫妻でソ連芸術アカデミー名誉会員となりました。翌年からは全世界へ巡回展示を開催しはじめ、1970年にはアメリカでも巡回展を開催して、大きな反響を呼びました。この連作は、1982年の第15部「長崎」まで続き、夫妻の代表作となったばかりか、現在「長崎」を長崎原爆資料館が所蔵している他は、埼玉県松山市の「丸木美術館」で常設展示されています。

なお、俊は1980年に記録絵本『ひろしまのピカ』を刊行し、第3回絵本にっぽん大賞受賞しています。字を読まなくても、視覚的に原爆の恐ろしさ・悲惨さ・怒りを訴えかける本として、また戦争の悲惨さ・やり場のない怒りが閉じこめられている本としてロングセラーをつづけている他、「日本の伝説」など、さまざまな絵本を手がけ、この分野でも多くの賞を受賞しています。


「1月13日にあった主なできごと」

1199年 源頼朝死去…武士による初めての政権となった鎌倉幕府の初代将軍源頼朝が亡くなりました。

1653年 玉川上水建設命令…江戸幕府は急増する江戸市民の水を補うために、町人(玉川)清衛門、庄衛門兄弟に建設を命じました。多摩川上流の羽村から四谷まで約50kmに水を通す大規模な難工事でしたが、翌年6月、江戸市内に流れこんだ清流に、江戸市民は躍り上がって喜んだといわれています。この水のおかげもあり、江戸の人口は、17世紀末には100万人に達し、ロンドンやパリを越えて世界一だったそうです。

1860年 咸臨丸出港…江戸幕府がオランダから購入した洋式軍艦咸臨丸は、この日品川沖からアメリカに向けて出港しました。勝海舟を艦長に、福沢諭吉、中浜万次郎らをのせて、初の太平洋横断に成功しました。
 
1864年 フォスター死去…「オールドブラックジョー」「故郷の人々」など数多くの歌曲を作曲したアメリカを代表する作曲家フォスターが亡くなりました。

1935年 ザールがドイツ復帰…ドイツとフランスの国境にあり良質な石炭に恵まれ鉄鋼業や工業が盛んだったザール地方は、第1次世界大戦後ドイツ本国から分離され、フランスの保護領になっていました。この日の住民投票の結果、ドイツへ復帰、ヒトラーはこれをナチスの勝利として、さらに領土拡大のために軍備を整えていきました。
投稿日:2015年01月13日(火) 05:55

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)