「ショウジョウバエ研究」 のモーガン
今日12月4日は、メンデルの「遺伝子染色体説」を実証し、遺伝の基本的現象を解明したアメリカの遺伝学者モーガンが、1945年に亡くなった日です。
1866年、ケンタッキー州レキシントンに生まれたトーマス・ハント・モーガンは、1886年にケンタッキー州立大学を卒業後、ジョン・ホプキンス大学で動物学・生理学を学び、1890年にクモヒトデの研究により学位を取得し、ブリン・マー・カレッジという初の女子大に勤務。このとき、日本からの留学生津田梅子は3年ほどモーガンの指導を受け、カエルの発生についての研究をしたといわれています。
1900年、失意のうちに亡くなったメンデルの「メンデルの法則」が3人の研究者によって再発見されたのを知ると、モーガンは遺伝学に興味を持ち、ネズミを用いた実験を行ってメンデル説を検討するものの、確証がえられず、一時はメンデルに批判的になりました。
その後、ドイツやイタリアの臨界実験場で研究を重ね、帰国後コロンビア大学教授となると、1907年ころからをショウジョウバエを材料にした遺伝研究を開始し、1910年その突然変異体を発見しました。以後、精力的に実験を重ね、突然変異を集めて交配実験を行うことで、メンデルが推定した粒子状の遺伝因子は、細胞の核にある「染色体」の中にあることつきとめ、1913年に染色体地図を作製することに成功しました。染色体には一定の配列で遺伝子を含み、遺伝や性の決定に重要な役割をはたすこと、大きさや形、数は生物の種類により一定であることなど、今日遺伝学の基本的な現象を解明してみせたのです。(今では、粒子状の遺伝子がDNAの分子であることが解明されています)
1926年モーガンは、これまでの研究の集大成として『遺伝子説』を著すと、1933年にこれらの業績、研究成果が認められ1933年、ノーベル生理学・医学賞を受賞。メンデルの死後から50余年もの長い歳月と、モーガンら多くの学者の研究成果により、ようやくメンデルの法則は完成したのでした。
のちにモーガンは、カリフォルニア工科大学の生物学部長を務めました。著書には他に『発生学と遺伝学』があり、遺伝学と発生学を統一しようと試みました。優秀な後進を多く育て、弟子や孫弟子をふくめノーベル賞の受賞者を数人輩出させています。
「12月4日にあった主なできごと」
1027年 藤原道長死去…平安時代中期の貴族で、天皇にかわって摂政や関白が政治をおこなう「摂関政治」を独占。藤原氏の全盛期を生きた藤原道長が亡くなりました。
1722年 小石川養生所設立…江戸幕府は、貧しい病人のための無料の医療施設として、東京・文京区にある小石川植物園内に小石川養生所を設立しました。第8代将軍徳川吉宗と江戸町奉行の大岡忠相が主導した「享保の改革」における下層民対策のひとつで、町医者の小川笙船が、将軍への訴えを目的に設置された「目安箱」に投書したのがきっかけでした。幕末まで140年あまりも、江戸の貧民救済施設として機能したといわれます。この診療所の様子は、山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』や、この原作をもとに黒沢明が映画化した『赤ひげ』で知られています。
1890年 血清療法…ドイツの細菌学者コッホのもとへ留学していた北里柴三郎は、破傷風とジフテリアの免疫血清療法を発見したことを発表しました。
投稿日:2014年12月04日(木) 05:52