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最新記事【2014年09月11日】

今日9月11日は、「ブリヂストンタイヤ」を創業し、日本を代表する企業へと発展させた実業家の石橋正二郎(いしばし しょうじろう)が、1976年に亡くなった日です。

1889年、今の福岡県久留米市に仕立屋の子として生まれた石橋正二郎は、1906年に久留米商業を卒業後、兄の重太郎とともに家業を継ぎました。しかし、兄が徴兵されたことで、職人的な技能に頼る仕立物の将来に疑問を感じるようになり、1907年から業務の一部としていた「足袋」を専門にすることに決め、順調に業績を伸ばしていきました。

1908年には新工場を設立して、縫製用のミシンと生地の裁断機の動力源となる石油発動機の導入、古い徒弟制を廃して給与制の採用、サイズごとの小売価格を一律価格とするなど、経営の合理化をはかりました。1918年に兄が社長、正二郎が専務取締役となって「日本足袋株式会社」を設立したころには、名実ともに足袋の4大メーカーの一つとなりました。

1923年には、すでに考案していたゴムを底に張り付けた足袋「アサヒ地下足袋」の製造販売を開始すると、爆発的な売上を記録するようになりました。この売上を元手に、自動車タイヤの国産化をめざして1929年にはタイヤ製造装置をアメリカへ発注してタイヤの試作を開始しました。そして1931年、「ブリヂストンタイヤ株式会社」を設立して社長に就任したのでした。
 
社名は、将来の海外進出のために姓の英語読み「ストーン(石)・ブリッヂ(橋)」からとったものです。1935年には自転車用タイヤやゴルフボールの生産も開始させ、戦後は自動車の普及とともに業績を拡大させ、タイヤ業界のトップをひた走る優良企業に育て上げました。

いっぽう、東京京橋にある本社ビルの一角に「ブリヂストン美術館」を設立させ、レンブラントからモネ、ルノワールらの印象派を中心とした西洋の近・現代美術から、浅井忠、小出楢重らの日本近代洋画まで約160点を、常設展示しています。


「9月11日にあった主なできごと」

1900年 初の公衆電話設置…それまでは電話局にのみおかれた公衆電話が、この日東京の新橋駅と上野駅の通路に設置されました。当時は交換手を呼びだしてからお金を払って、相手を呼びだしてもらうしくみでした。

1947年 教科書の検定制度…1886年の「小学校法令」で国定教科書(政府が定めた教科書)が使用されてきましたが、この日教科書検定制度を発表、文部省が認めたものだけを教科書に採用することになりました。この検定制度は憲法違反に当たると、家永三郎は国を相手に裁判をおこしましたが、32年間にもわたる審議の結果、1997年に敗訴が確定しました。

1971年 フルシチョフ死去…スターリンの死後ソ連の最高指導者となり、スターリン批判によって、その独裁と恐怖政治を世界に暴露して世界に衝撃を与えたフルシチョフが亡くなりました。

2001年 同時多発テロ事件…アメリカでハイジャックされた旅客機3機が、ニューヨークの世界貿易センタービル(ツインビルに各1機)とワシントンの国防総省(ペンタゴン)に突入、数千人の死者を出す大惨事となりました。ブッシュアメリカ大統領は、この犯人をウサマ・ビンラディンを首謀者とするイスラムのテロ組織アルカイダと断定し、潜伏するアフガニスタン政府に引渡しを要求。しかし、彼らを保護するタリバン側が拒否したことから、アメリカはアフガニスタンを攻撃しました。
投稿日:2014年09月11日(木) 05:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)