「戦争児童文学」 の長崎源之助
今日4月3日は、『ひろしまのエノキ』『あほうの星』『向こう横町のおいなりさん』など、100点以上を著した児童文学作家の長崎源之助(ながさき げんのすけ)が、2011年に亡くなった日です。
1924年、今の横浜市南区井土ヶ谷に生まれた長崎源之助は、旧浅野総合中学入学後に読書の楽しみを知り、坪田譲治『子供の四季』に感動して文学をめざしますが、中学5年の時に腹膜炎にかかり、1年休学後に退学するなど、病弱な少年時代を過ごしました。1942年頃から、近所の子どもたちを集めて「子ども隣組」を始め、読み聞かせを行ったりしました。
1944年に応召して陸軍に入営し、中国北部へ出征して終戦を迎えました。1946年に復員後は、精米業、左官手伝い、写真屋など職を転々とした後、雑貨・文房具店を地元に開業しました。そのかたわら日本童話会に入会して児童文学を書きはじめ、1950年、いぬいとみこ、神戸淳吉、佐藤さとるらと同人誌「豆の木」を発行し、以降、亡くなるまで書き続けました。
長崎の作品には、純朴な子どもの姿を通して戦争の悲惨さや平和の尊さを伝える作品が多く、被爆して幹が半分になりながら生き続けたエノキの木を守る子どもたちを描いた『ひろしまのエノキ』、戦争中親元を離れて見ず知らずの土地へ「集団疎開」させられた子どもたちを語り伝える『ゲンのいた谷』、戦争という修羅の深い傷あとを描いた3部作『あほうの星』、特攻機で出撃した父の遺体が流れついた孤島へむかう『忘れられた島へ』、在日朝鮮人のキンサンを通じて戦争とはどういうものかを問う『ヒョコタンの山羊』など、戦争児童文学の傑作を多く残しました。
代表作には、上記のほか、小学校の国語教科書に長く掲載された『つりばしわたれ』(山のつりばしがこわくてわたれない少女のところへやまびこがカスリの着物を着てあらわれて……)、昔ならどこにもあった「紙芝居」など下町の情景を舞台にした『向こう横町のおいなりさん』、横浜の下町を舞台に走りまわる子どもたちを生き生きと描く『トンネル山の子どもたち』などがあり、主要著作は『長崎源之助全集』(20巻・偕成社)に収められています。また、『むかしむかし象がきた』は、今も劇団四季などによって舞台化されています。
「4月3日にあった主なできごと」
604年 十七条の憲法…聖徳太子は、仏教や儒教に基づくきまりや道徳を示した「十七条の憲法」を制定しました。
1673年 隠元死去…江戸時代の初期に禅宗の流れをくむ「日本黄檗宗」を開き、インゲン豆を日本に伝えたとされる中国の僧・隠元が亡くなりました。
1682年 ムリーリョ死去…『無原罪の宿り』 など甘美な聖母像や、愛らしい子どもの絵で知られる、スペインバロック絵画の黄金期を築いた画家ムリーリョが亡くなりました。
1890年 ブラームス死去…バッハ、ベートーベンとともに、ドイツ音楽の「三大B」と讃えられる作曲家ブラームスが亡くなりました。
投稿日:2015年04月03日(金) 05:34