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最新記事【2015年02月03日】

今日2月3日は、『草わかば』『独絃哀歌』『春鳥集』『有明集』という4つの詩集を刊行し、薄田泣菫とともに「近代詩を代表する詩人」と評価される蒲原有明(かんばら ありあけ)が、1952年に亡くなった日です。

1875年、東京麹町に役人の子として生まれた蒲原有明(本名・隼雄)は、生まれつき身体が弱かったこと、7歳の時に両親の離婚により後妻に育てられたこと、東京府尋常中学をへて第一高等の受験に失敗したことは、有明の生涯に暗い影響を与えました。神田の国民英学会で英文学を学んで詩に親しむうち、友人たちと同人雑誌「落穂双紙」を発刊しました。1898年、読売新聞の懸賞小説に応募した「大慈悲」が1等当選をはたし、新進作家として名をあげましたが、イギリスのロセッティらロマン派の詩や島崎藤村らの詩に強く魅かれ、小説を捨てて詩作に専念します。

1902年、第1詩集『草わかば』を出版すると、薄田泣菫と並ぶ新進詩人として詩壇に迎えられました。翌年の、上田敏の訳詩に強く影響を受けた第2詩集『独絃哀歌』は、「独弦調」という独自の詩律を創始して時代の流行を生み、1905年の第3詩集『春鳥集』は、34編の詩と翻訳詩3編からなり、序文に初めて象徴主義的志向を表明した詩集として、また近代詩の発展に大きな役割をはたした詩集として知られています。

1908年に刊行した最後の詩集『有明集』は、複雑な語彙やリズムを駆使した象徴詩の手法を確立したことで、薄田泣菫の『白羊宮』と並んで日本の近代詩の金字塔とされ、北原白秋、三木露風らに大きな影響を与えています。

しかし、時代は自然主義の流れに向かっていたため、大正以後は詩壇を退き、敗戦後に自伝『夢は呼び交わす』を刊行しました。

次の詩は、有明の代表的な詩「牡蠣(かき)の殼」の一部です。

牡蠣の殼なる牡蠣の身の
かくもはてなき海にして
独りあやふく限りある
その思ひこそ悲しけれ

身はこれ盲目(めしい)すべもなく
巌のかげにねむれども
ねざむるままにおほうみの
潮のみちひをおぼゆめり

いかに黎明(あさあけ)あさ汐の
色しも清くひたすとて
朽つるのみなる牡蠣の身の
あまりにせまき牡蠣の殼……

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、蒲原有明の作品24編を読むことができます。


「2月3日にあった主なできごと」

1468年 グーテンベルク死去…ドイツの金属加工職人で、活版印刷技術を実用化し、初めて聖書を印刷したことで知られるグーテンベルクが亡くなりました。

1637年 本阿弥光悦死去…豊臣秀吉の時代から江戸初期にかけ、書、陶芸、蒔絵、茶道、作庭、能面彫などさまざまな芸術に秀で、出版までも手がけた本阿弥光悦が亡くなりました。

1901年 福沢諭吉死去…『学問のすすめ』『西洋事情』などを著し、慶応義塾を設立するなど、明治期の民間教育を広めることに力をそそぎ、啓蒙思想家の第一人者と評される福沢諭吉が亡くなりました。
投稿日:2015年02月03日(火) 05:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)