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最新記事【2015年02月04日】

今日2月4日は、陸軍大将、陸軍大臣などを歴任し、第33代内閣総理大臣となった林銑十郎(はやし せんじゅうろう)が、1943年に亡くなった日です。

1876年、石川県金沢市に旧加賀藩士の子として生まれた林銑十郎は、1894年7月に日清戦争が始まると、旧制四高から陸軍士官学校に転校し、1903年に陸軍大学校を卒業しました。1905年に始まった日露戦争では旅順攻撃に参加した後、参謀本部員を経て、1913年から3年間ドイツに留学しました。ついでイギリス駐在員となり1923年には、国際連盟に陸軍代表として渡仏し、平和条約実施委員を兼任します。帰国後は、陸軍大学校校長、近衛師団長など陸軍の重要ポストをつとめあげ、1930年に朝鮮軍司令官となりました。

翌1931年、中国の関東州に駐屯していた関東軍が「満州事変」をおこすと、関東軍の兵力不足を補うため、林は正式な出兵命令のないまま、独断で朝鮮軍(朝鮮に駐留している日本軍)を、国境を越えて奉天にむかわせ、緒戦の勝利に貢献しました。この行為は、天皇の統帥権を犯す死刑もありうる重罪となる行為でしたが、天皇はじめ軍首脳は、軍の作戦行動が効果的だったために罪はとわれませんでしたが、生涯「越境将軍」の異名がつきまといました。

1932年に陸軍大将に進み、1934年には齋藤内閣、ついで岡田内閣で陸軍大臣を務めました。当時陸軍内部には統制派(政財界と結び、合法的に総力戦体制をめざす現実派)と、皇道派(天皇親政による軍事国家樹立をめざす急進派)が対立していましたが、林は1935年、皇道派の重鎮・真崎甚三郎教育総監らを罷免しました。これは両派の派閥争いを激化させ、皇道派の相沢中佐が統制派の中心人物だった永田鉄山を惨殺、翌1936年には皇道派の青年将校ら1400人ものクーデター「2.26事件」を誘発させることになりました。

以後は予備役とされますが、1937年に石原莞爾らに推されて内閣総理大臣になるものの、「祭政一致」という古風なスローガンを掲げたことで国民の失笑を買い、軍の支持を失ってわずか4か月で総辞職に追い込まれ、公職を退いたのでした。


「2月4日にあった主なできごと」

1181年 平清盛死去…平安時代末期の武将で「平氏にあらざれば人にあらず」といわれる時代を築いた平清盛が亡くなりました。

1703年 赤穂浪士の切腹…前年末、「忠臣蔵」として有名な赤穂浪士46名が、吉良義央(よしなか)邸に討ち入り、主君浅野長矩(ながのり)のあだ討ちをしたことに対し、江戸幕府は大石良雄(内蔵助)ら赤穂浪士46名に切腹を命じました。

1945年 ヤルタ会談…第2次世界大戦でドイツの敗戦が決定的になったことで、ソビエトのクリミヤ半島にあるヤルタに、アメリカ合衆国大統領ルーズベルト、イギリス首相チャーチル、ソビエト連邦(ソ連)首相スターリンの3国首脳が集まって、「ヤルタ会談」がはじまりました。
投稿日:2015年02月04日(水) 05:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)