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最新記事【2014年09月08日】

今日9月8日は、『雁の寺』『飢餓海峡』『越前竹人形』『五番町夕霧楼』など、世間の下積みに生きる人々をたくさんの作品に著した作家の水上勉(みなかみ つとむ)が、2004年に亡くなった日です。

1919年、今の福井県おおい町の貧しい大工の家に生まれた水上勉は、9歳の時、京都の臨済宗相国寺の子院、瑞春院に小僧として修行に出されました。しかし、あまりの厳しさに逃げ出し、連れ戻されて等持院に移されましたが、17歳のとき再びこの寺も出ました。その後さまざまな職業を転々としながら小説を書きますが、なかなか認められません。おまけに経営していた会社が倒産したり、結婚と離婚をくりかえすなど、家庭的にも恵まれませんでした。旧制花園中学を卒業後、1937年に立命館大国文科に入学するものの半年で中退、1944年郷里に疎開して、国民学校の教師を務めました。

敗戦後に上京すると、出版社を興したことがきっかけとなり、「文学の師」とあおぐ宇野浩二と知り合い、1947年に刊行された処女作『フライパンの歌』が評判になりました。しかし、体調不良から生活に追われ、文筆活動から遠ざかりました。

1959年に『霧と影』で執筆を再開すると、1960年に水俣病を題材にした『海の牙』を発表して日本探偵作家クラブ賞を受賞したものの、推理小説に限界を感じました。水上勉の名を決定づけたのが、1961年に発表した『雁の寺』でした。少年時代に体験した禅寺の人たちを題材にした佳作は、第45回直木賞を受賞、これが、華々しい作家生活の始まりとなります。この作品は1962年に映画化され、続編にも取り組み、『雁の村』『雁の森』『雁の死』の4部作としています。

その後、映画やテレビドラマ化されている『飢餓海峡』『越前竹人形』『五番町夕霧楼』など庶民生活をえがいた多くの小説をはじめ、伝記文学として『宇野浩二伝』(菊池寛賞)・『一休』(毎日芸術賞)・『良寛』(谷崎潤一郎賞)のほか、数々のエッセイや童話など、亡くなる寸前まで旺盛に書き続けました。

次女が脊椎症という病気だったことから、身体障害者の問題にも関心を持ち、『くるま椅子の歌』(婦人公論読者賞)『拝啓池田総理大臣殿』等、社会福祉の遅れを告発する発言や文筆活動も行いました。

なお、長野県上田市にある戦没画学生の遺作を集めた「無言館」の館主で、『父 水上勉』を著した窪島誠一郎は水上の長男で、生後2歳で別れ、35歳のときに再会しています。


「9月8日にあった主なできごと」

1841年 ドボルザーク誕生…『スラブ舞曲』や『新世界より』などの作曲で名高いチェコ・ボヘミヤ音楽の巨匠ドボルザークが生まれました。

1868年 元号「明治」…年号をこれまでの「慶応」(4年)から「明治」(元年)と改めました。同時に、今後は1天皇は1年号とする「一世一元の制」を定めました。

1951年 サンフランシスコ講和条約締結…第2次世界大戦で、無条件降伏をして連合国の占領下におかれていた日本国民は、1日も早い独立を願っていました。1950年に朝鮮戦争がはじまると、アメリカは日本を独立させて資本主義の仲間入りをさせようと、対日講和の早期実現を決意しました。そしてこの日、日本の全権大使吉田茂首相は、サンフランシスコで戦争に関連した48か国と講和条約に調印し、6年8か月にわたる占領が終わり、独立を回復しました。しかしこの時、アメリカとの間に「安全保障条約」を結んだことで、日本国内に700か所以上もの米軍基地がおかれるなど、本当の意味での独立国にはなりきれず、さまざまな波紋を残すことになります。

1981年 湯川秀樹死去…「中間子」という電子のほぼ300倍もの質量をもつ素粒子のあることを、理論をもって証明したことで、1949年日本人で初めてノーベル賞(物理学賞)を受賞した湯川秀樹が亡くなりました。
投稿日:2014年09月08日(月) 05:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)