« 2014年10月03日 | 児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top

最新記事【2014年10月04日】

今日10月6日は、江戸時代前期の天文暦学者で、日本初の暦「貞享(じょうきょう)暦」を作りあげた渋川春海(しぶかわ はるみ/しゅんかい)が、1715年に亡くなった日です。

1639年、京都四条室町に生まれた渋川春海は、幼くして江戸幕府の囲碁棋士安井参哲の養子となり、幼いころから父の指導により、めきめき上達して囲碁妙手として知られるようになります。1652年父の死のあとをついで2代目安井参哲として囲碁棋士となり、のちに七段位を得ています。

春海が高く評価されているのは、幕府の碁所に努めるかたわら研究をつづけた「天文暦学」の分野です。暦学を松田順承に、天文学を中国・元の「授時暦」に詳しい岡野井玄貞に学ぶと、1659年21歳の時に授時暦に基づいて山陰、山陽、四国各地の緯度・経度を計測しました。当時の日本の暦は、中国の唐の時代の822年に作成され862年に日本にもたらされた「宣明(せんみょう)暦」を用いていました。しかし、月食・日食の予報が2日も遅れるなど、かなりの誤差が生じていました。そのため、春海は計測結果を元にして、授時暦に改めるよう朝廷に申し出ました。ところが、1675年に春海が授時暦に基づいて算出した日食予報が失敗したことから、申請は却下されてしまいました。

春海は失敗の原因を研究していくうちに、中国と日本には経度差と時差があることに気づき、中国の暦をそのまま用いるより、日本に適応した改暦をあらためて主張し、1683年、自己の観測データを元にして授時暦に改良を加えた「大和(だいわ)暦」の採用を求めました。

こうして新暦をどうするべきかの論争がおこり、多くの意見は、授時暦を改良した明の「大統暦」に傾きはじめました。春海は暦道の最高責任者に大統暦の誤りを改めて指摘して、大和暦の採用に同意させ、1684年3度目の上申をこころみ、大和暦は朝廷により採用されて、初の国産暦「貞享暦」となったのでした。そして翌1685年5月の月食を見事に合致させ、その正確さを讃えられました。

この功績により、幕府の天文方に任じられ、以後暦の暦日など科学的な部分は幕府天文方が作り、朝廷の暦道と天文道を司る土御門家が暦注を加えて印刷・配布されるようになりました。

なお、春海は儒学や神道にも優れ、師である山崎闇斎より「天下の逸材」と激賞されるほどの総合力のある人物で、『天象列次之図』『春秋長暦』などの著書を多数残しているほか、地球儀をはじめ、天球儀・渾天儀・百刻環(赤道型日時計)などの天文機器を作成しています。


「10月6日にあった主なできごと」

1866年 孫文誕生…「三民主義」 を唱え、国民党を組織して中国革命を主導し、「国父」 と呼ばれている孫文が生まれました。

1954年 尾崎行雄死去…明治・大正・昭和の3代にわたり、憲法に基づく議会政治を擁護し、清廉な政治家として活躍した尾崎行雄が亡くなりました。
投稿日:2014年10月04日(土) 11:44

2014年10月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)