「北方のライオン」 グスタフ2世
今日11月6日は、ドイツの宗教戦争「三十年戦争」でめざましい活躍をした、スウェーデン王国最盛期の国王グスタフ2世が、1632年に亡くなった日です。
1594年、スウェーデンに新教を広めたカール9世の子として生まれたグスタフ2世アドルフは、幼いころから新教の教育を受け語学にも長け、ラテン語・ドイツ語・オランダ語・フランス語・イタリア語を自国語のように話し、17歳で即位しました。父王の事業を引き継ぎ、対外的にはデンマーク、ロシア、ポーランドと戦って勝利してバルト海を自国の湖にするほどの勢いをしめし、国内でも台頭する貴族の権限を弱め、軍備を強めていきました。
当時ドイツでは、三十年戦争という皇帝軍(神聖ローマ皇帝を中心とするカトリック勢力)と新教徒諸侯との戦いが長く続き、皇帝軍が優勢でした。グスタフ2世は、ドイツ新教徒を救うためと称して、1630年にドイツに侵入しました。グスタフ軍は最新の火打石銃や大砲を備えていた上、規律のとれた軍隊だったことから、たちまちオーデル川中・下流域を占領し、翌1631年にはフランスと手を結び、北ドイツを解放することに成功しました。
次の目標は、皇帝軍に占拠されていた新教都市マクデブルクの救援でした。グスタフは、ザクセン諸侯たちと連合軍を組んで皇帝軍を打ち破ると、さらに南下してバイエルンを侵略して皇帝軍を追いつめていきます。神聖ローマ皇帝は、罷免していた名将ワレンシュタインを再起用し、大軍を動員させてスウェーデン軍と何度も決戦を挑みました。
1632年11月、ライプチヒ南部の小都市リュッツェンで激突すると(リュッツェンの戦)、戦闘はスウェーデン軍が優勢だったものの、グスタフは流れ弾に当たって落馬しました。こうして「北方のライオン」といわれ、周辺諸国から恐れられた37年の生涯を閉じたのでした。
「11月6日にあった主なできごと」
1494年 スレイマン誕生…オスマン帝国第10代スルタンとして13回にもおよぶ遠征の末、地中海の制海権をにぎって「世界の帝王」と呼ばれたスレイマンが生まれました。
1945年 財閥解体…太平洋戦争敗戦後の日本を占領し、間接統治を行なっていたGHQ(連合国軍司令本部)は、三井、三菱、住友、安田など15財閥83社の解体を指令しました。これらの財閥が、日本経済をささえ戦争をすすめる原動力になっていたと判断したためです。しかし、財閥は解体されたものの財閥の流れをくむ企業の大半は、大規模な企業グループを形成していきました。
1956年 スエズ戦争停戦…スエズ運河の国有化宣言をしたエジプトに対し、イギリスとフランスが反対を決議。さらにエジプトと対立関係にあったイスラエル軍がエジプトに侵入したのをキッカケに、英仏軍も武力攻撃を開始してスエズ戦争(第2次中東戦争・スエズ動乱)が始まりました。エジプトの抵抗、アラブ諸国のエジプト支持、国際連合の批判などにより、この日英仏は軍隊を引き上げることに同意しました。
投稿日:2014年11月06日(木) 05:46