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最新記事【2014年11月05日】

今日11月5日は、普通選挙運動、廃娼運動、反戦運動、公害告発など数々の先駆的社会運動をおこしたことで知られる木下尚江(きのした なおえ)が、1937年に亡くなった日です。

1869年、今の長野県松本市に、松本藩士の子として生まれた木下尚江は、新設したばかりの開智小学校を経て、松本中学時代にイギリスの清教徒革命で活躍したクロムウェルを知り、国王を裁くほどの「法律」を学ぶ決心を固めて上京、1886年英吉利法律学校(今の中央大)に入学、転学した東京専門学校(今の早稲田大)を1888年に卒業しました。

地元にもどって『信陽日報』の記者となるものの、地元の有力者の意にそむいた報道をしたことから迫害を受けて失職すると、弁護士となって、1893年にキリスト教の洗礼をうけました。新しい勇気をえた尚江は、先駆的な運動を次々とおこします。1897年に初の普通選挙運動をはじめると警察に拘引され、県会選挙にまつわる疑獄事件に連座されて1年半も獄中生活を送りました。

無罪判決を受けて出獄した尚江は、1899年に毎日新聞(旧横浜毎日新聞)に入社して平和主義、民主主義を掲げるいっぽう、1901年には幸徳秋水、片山潜、堺利彦らと日本初の社会主義政党である社会民主党の立党を計画して禁止されたり、1903年の日露戦争前夜に非戦論をとなえ、幸徳らの平民社を支援したりしましたが、政府の反戦運動弾圧が厳しくなり、言論活動の道をふさがれて苦悩しました。それでも、毎日新聞誌上に、自らの非戦小説『火の柱』や『良人の自白』を連載したり、廃娼運動や、公害のはしりとなった足尾銅山鉱毒問題などで論陣を張りました。

しかし1906年の母の死をきっかけに、自身の正義の訴えが政治家の暗殺や足尾銅山社長夫人の自殺を引き起こすなど、自責の念にかられたのでしょう。幸徳らに決別を告げて社会主義から退き、記者もやめ、自伝ともいうべき『懺悔(ざんげ)』を刊行して、表舞台から姿を消しました。

以後の尚江は、新しい道を求めるうち岡田虎次郎の「静座法」に出会い、弟子となって沈黙の静座修行に入りました。岡田が亡くなった1920年ころから「田中正造伝」を書いたり、満州事変勃発のころは社会復帰をめざす動きもありましたが、まもなく病に倒れてしまったのでした。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、『政治の破産者・田中正造』『火の柱』など10作品を読むことができます。


「11月5日にあった主なできごと」

1688年 名誉革命起こる…国王ジェームズ2世に反発したイギリス議会はクーデターを起こし、次の国王としてウイリアム3世(オランダ総督オレンジ公)とメアリー2世夫妻を招き、夫妻は軍隊を率いてイギリスへ上陸しました。ジェームズ2世はフランスに亡命し、流血のないまま新王が即位したため、「名誉革命」といわれています。

1922年 ツタンカーメン王墓発見…イギリスの考古学者カーターが、古代エジプト18王朝(BC1340年頃)18歳で亡くなったツタンカーメン王の墓を発見しました。3000年以上の歴史を経てもほとんど盗掘を受けておらず、王のミイラにかぶせられた黄金のマスクをはじめ、副葬品の数々をほぼ完全な形で出土しました。そのほとんどは「カイロ博物館」に展示されています。
投稿日:2014年11月05日(水) 05:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)