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最新記事【2014年09月01日】

今日9月1日は、周防山口を中心に西中国から北九州の守護大名・戦国大名として勢力を誇った大内義隆(おおうち よしたか)が、1551年に亡くなった日です。

1507年、周防山口を本拠に、長門(山口県)・石見(島根県西部)・安芸(広島県西部)・豊前(福岡県東部・大分県北部)など、西日本に勢力を誇った大内氏の第30代当主・大内義興の長男として生まれた大内義隆は、1528年に父が死去したため、22歳で第31代当主として家督を相続し、1530年に朝廷から父祖と同じ左京大夫に任命されました。

1530年からは、陶(すえ)興房を大将とする軍を九州に出兵させ、北九州の覇権を豊後の大友氏や筑前の少弐氏らと争い苦戦を強いられましたが、1535年に大友氏と和睦、翌1536年に少弐氏を討ち滅ぼして、北九州地方の平定をほぼ完成させました。1537年には、室町幕府第12代将軍の足利義晴から幕政に加わるよう要請を受けて上洛しましたが、山陰を統一して南下する尼子氏に阻まれたことで断念、領国経営に専念します。

義隆は、日明貿易(勘合貿易)をほぼ独占し、2度遣明船を派遣して、中国の文物を取り入れるいっぽう、戦乱を避けて京都から下ってくる公家や文化人を多数保護し、彼らから和歌・連歌・儒学・神道・能楽・茶の湯などを学んで教養を深め、戦国武将としては類のない文化人といわれるようになります。のちに、日本にキリスト教を伝えた宣教師のザビエルに、宿舎を兼ねた説教所として寺を与え、領国内に布教すること許可するなど、山口の町は、異国情緒ただよう「西の京都」といわれるほどでした。

1540年、尼子氏が安芸へ侵攻すると、義隆は陶興房の遺子・陶隆房(のちの晴賢)を総大将とした援軍を送り尼子軍を撃破し、安芸を完全に勢力下に置くと、1542年には出雲に遠征しましたが、配下の寝返りにあって尼子晴久に大敗してしまいました。領土的野心や政治的関心を失い、以後は文治派の相良武任らを重用するようになったことで、武断派の陶隆房や内藤興盛と対立するようになりました。これが、義隆の誤算でした。

1551年8月、義隆と険悪な関係にあった陶隆房(周防国守護代)が謀反の兵を挙げ、重臣の内藤興盛(長門国守護代)もこれを黙認したことで、義隆と一族を自害させ、長く続いた大内氏は31代で滅亡してしまいました。


「9月1日にあった主なできごと」

1923年 関東大震災…午前11時58分、関東地方一帯に震度7.9(激震)という大地震・関東大震災がおこりました。東京では130余か所で火災がおきて半分以上を焼き尽くし、関東全域で死者10万人以上、災害にあった人は400万人にものぼりました。不安が高まる中に「朝鮮人が暴動をおこした」「井戸に毒を流した」などというデマが乱れとび、罪のない朝鮮人や中国人数千人が殺されました。

1939年 第2次世界大戦…ヒトラーの率いるドイツ軍は、突然隣国のポーランドに侵攻しました。この行動に対し、イギリスとフランスは、兵を引き上げるように要求しましたがヒトラーはこれを受け入れず、9月3日に英仏はドイツに宣戦布告、第2次世界大戦が勃発しました。戦争はヨーロッパ全体に広がり、やがて世界のほとんどを巻きこむ大戦争になっていきました。

1960年 防災の日…前年に襲来して、5000人を越える死者・行方不明者、39000人の負傷者という大災害をおこした伊勢湾台風と、関東大震災のおきた日にちなみ、防災意識を高めようと、政府はこの日を「防災の日」と定めました。

1983年 大韓航空機撃墜される…ニューヨーク発、バンクーバー経由ソウル行の大韓航空機が、誘導装置の設定ミスによるソ連領空侵犯のために、ソ連戦闘機に撃墜され、乗客乗員269人が死亡しました。
投稿日:2014年09月01日(月) 05:01

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)