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最新記事【2018年07月23日】


● 今日(7月23日)の主なできごと

1918年 米騒動……富山県魚津の主婦たちが、米穀商が米を買い占め、船で県外へ持ち出そうとするのをこの日にとがめたことがきっかけとなって、米穀商を襲う米騒動が全国規模で拡がり、30名以上の死者と2万5千人以上の逮捕者を出す大事件となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

文月ふみの日……毎月23日は「ふ(2)み(3)」の語呂合せから「ふみの日」となっているが、7月の旧称が「文月」であることから、郵政省が1979年から特別に「文月ふみの日」として制定し、さまざまなイベントを実施している。


● 今日生まれた人

1787年 二宮尊徳……江戸時代後期の農政家。干拓事業などで農村の復興に尽力。

1867年 幸田露伴……明治・大正・昭和期の小説家・劇作家・随筆家。代表作『五重塔』『風流仏』『運命』など。尾崎紅葉とともに「紅露時代」築く。

1888年 チャンドラー……アメリカの小説家。代表作『大いなる眠り』『さらば愛しき女よ』『長いお別れ』など。


● 今日亡くなった人

1335年 護良親王……鎌倉時代後期から建武の新政期の後醍醐天皇皇子。「建武の新政」の征夷大将軍・兵部卿。

1697年 宮崎安貞……江戸時代前期の農政学者。代表著作『農業全書』(全10巻)。

1906年 児玉源太郎……明治期の陸軍軍人・政治家。内相・文相・陸軍相歴任。日清・日露戦争の勝利に貢献。

1918年 井上伝蔵……明治期の自由民権運動家。「秩父事件」中心人物の一人。

1990年 高柳健次郎……大正・昭和期の電子工学者。「日本のテレビの父」

2000年 小倉遊亀……大正・昭和・平成期の日本画家。代表作『O夫人坐像』『小女』『浴女』など。上村松園と並ぶ日本を代表する女性画家。


● 過去のマイブログ「7月23日」のテーマ

2015年  「元弘の乱」 と護良親王
後醍醐天皇の討幕計画「元弘の乱」に僧兵を率いて活躍し、建武新政府では征夷大将軍となったものの、足利尊氏と反目し鎌倉に幽閉されたのちに殺された護良親王(もりなが/もりよし しんのう)が、1335年に亡くなった日です。1308年、後醍醐天皇の第1皇子に生まれた親王は、6歳の頃、尊雲法親王として、延暦寺大塔に入室したため大塔宮と呼ばれました……。

2014年 「テレビの父」 高柳健次郎
世界に先駆けて電子式受像を初めて成功させ、日本のテレビの礎を築きあげた高柳健次郎(たかやなぎ けんじろう)が、1990年に亡くなった日です。1899年、今の静岡県浜松市に生まれた高柳健次郎は、静岡師範学校の授業で、真空に近い容器の中にある電子が美しい光をはなつのを見て、原子や分子の勉強がしたいと……。

2013年 「秩父事件」 の井上伝蔵
困窮する農民たちのために「秩父事件」をおこし、死刑判決を受けながらも逃げ通した井上伝蔵(いのうえ でんぞう)が、1918年に亡くなった日です。1854年、武蔵国下吉田村(現・秩父市)の旧家の二男に生まれた井上伝蔵(幼名・治作)は、兄が早くなくなったため、20歳のころから父に代わって、呉服や絹・生糸の仲買を営む「丸井商店」を継ぎ……。

2012年  明治の知将・児玉源太郎
明治期の陸軍幹部で、日清・日露戦争の勝利に貢献した児玉源太郎(こだま げんたろう)が、1906年に亡くなった日です。1852年、周防国(現・山口県)徳山藩士の長男として生まれた児玉源太郎は、父が5歳で亡くなったため、姉の配偶者である義兄に養育されながら藩校で学びました。13歳のとき、父代わりの義兄が藩内の佐幕派に暗殺されて児玉家は廃絶……。

2010年  日本農学の父・宮崎安貞
たったひとつの本『農業全書』(全10巻) だけで「日本の三大農学者」の一人とあがめられる宮崎安貞(やすさだ)が、1697年に亡くなった日です。安貞は、1623年広島(安芸)藩士・山林奉行の子に生まれ、25歳のとき筑前の黒田藩に200石でむかえられました。ところが、30歳を前にして、浪人の身になりました。このときから、山陽道、畿内、伊勢、紀州と各地を歩き……。

2009年 『五重塔』 の幸田露伴
尾崎紅葉とともに「紅露時代」と呼ばれる時代を築いた作家の幸田露伴(こうだ ろはん)が、1867年に生まれた日です。幸田露伴は、東京と名が改められる直前の江戸に生まれ、文明開化の波がうちよせる明治時代に活躍した小説家です。小説家として露伴の名が世にでたのは、雑誌『都の花』に『露団々(つゆだんだん)』を発表した、22歳のときです……。

2008年  倹約と勤勉を説いた農政家・二宮尊徳
農家に生まれ、幼い頃に両親を失いながらも刻苦して小田原藩士となり、各地の農村の復興や改革につくした江戸後期の農政家・二宮尊徳(にのみや そんとく)が、1787年に生まれた日です。1945年、太平洋戦争が終わって何年かまでは、全国のたいていの小学校の校庭には、たきぎを背負って本を読みながら歩いている二宮金次郎 (尊徳の子どものころの名) の銅像……。

2007年  母親のあせりを子に押しつけない
バスの中で目にした光景です。つぎの停留所で降りるのを、ついうっかりしていたのでしょう。停留所を目前にして、3、4歳くらいの子どもをつれた母親が、荷物を片手にあわてだしました。くつをぬいで座席にあがり窓にしがみついていた子に 「さあ、降りるのよ。早く、くつをはきなさい」。子どもはあわててくつをはこうとするのですが、なかなかはけません……。
投稿日:2018年07月23日(月) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)