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最新記事【2018年02月28日】


● 今日(2月28日)の主なできごと

1972年 「浅間山荘」強行突入……連合赤軍のメンバーが19日に軽井沢にある「浅間山荘」に押し入り、管理人の妻を人質に立てこもっていたが、この日機動隊が強行突入、激しい銃撃戦の末に人質を解放して犯人5名を逮捕、隊員2名が殉職した。突入の様子はテレビで生中継され、視聴率は総世帯の9割近くにも達し、今なおこの記録は破られていない。


● 今日の主な記念日・恒例日

ビスケットの日……1855年のこの日、水戸藩の柴田方庵が、長崎留学中にビスケットの製法を手紙に書いて自藩に送った。「二(2)度焼(8)かれた物」というビスケットの語原から、全国ビスケット協会が1980年に制定。

バカヤローの日……1953年のこの日、吉田茂首相が衆議院予算委員会の席上、ある議員の質問に対し「バカヤロー」と発言したと報道され、内閣不信任案が提出・可決され、この年の3月14日に衆議院が解散した。「バカヤロー解散」と呼ばれているのはそのためで、この日は腹が立っていることに対して「バカヤロー」と叫んでもよい日とされている。しかし、吉田は席に着いたとき、小声で「バカヤロー」とつぶやいたのを、たまたまマイクが拾ったためなので、「バカヤロー」は声に出さないのがよさそうだ。


● 今日生まれた人

1533年 モンテーニュ……フランスの思想家・随筆家。主著は、人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた『随想録(エセ―)』。

1811年 佐久間象山……幕末の開国論者。吉田松陰、坂本龍馬、勝海舟らを指導。

1833年 ヒルティ……スイスの法学者・思想家。代表著作『幸福論』『眠れぬ夜のために』など。

1864年 二葉亭四迷……明治期の小説家・翻訳家。言文一致体。代表作『浮雲』『其面影』(小説)『あひゞき』『めぐりあひ』(翻訳)など。

1908年 山川惣治……昭和期の絵物語作家・画家。代表作、『少年王者』『少年ケニヤ』『ノックアウトQ』など。


● 今日亡くなった人

1546年 ルター……ドイツの宗教家。免罪符を販売するローマ教会を批判し、ヨーロッパ各地で宗教改革を推し進めた。

1591年 千利休……戦国時代・安土桃山期の茶人。「千家流茶道」開祖。秀吉の怒りにふれて切腹させられた。

1638年 天草四郎……江戸時代前期「島原の乱」の指導者。この日、幕府の総攻撃を受け、四郎をはじめ37000人が死亡。

1892年 ルイ・ヴィトン……フランスの鞄職人。ファッションブランド「ルイ・ヴィトン」創始。

1916年 今村紫紅……明治・大正期の日本画家。代表作『熱国之巻』『伊達政宗』『細雨』など。

1935年 坪内逍遙……明治・大正期の小説家・演劇評論家・劇作家・評論家・イギリス文学者。代表作『小説神髄』『当世書生気質』「シェイクスピア全集」翻訳など。

1955年 野中到……明治・大正・昭和期の気象学者。

2014年 まど・みちお……昭和・平成期の詩人。代表作『やぎさんゆうびん』『ぞうさん』『ふしぎなポケット』など。

2015年 松谷みよ子……昭和・平成期の児童文学作家。代表作『龍の子太郎』『いないいないばあ』『モモちゃんとアカネちゃんの本』シリーズなど。


● 過去のマイブログ「2月28日」のテーマ

2014年 『富士案内』 の野中到
妻とともに、富士山頂で最初の越冬観測を試みたことで知られる気象学者の野中到(のなか いたる)が、1955年に亡くなった日です。1867年、いまの福岡市に生まれた野中到(本名・至)は、医学をめざして大学予備門(のちの東大教養学部)に入学しましたが、当時の日本が日清戦争に勝利して士気盛んな時期であったことから1889年に医学の道を断念し中退、富士山山頂で越冬気象観測を行って……。

2013年 「おもしろ古典落語」108回目 『帯久(おびきゅう)』
江戸時代のなかごろ、日本橋本町四丁目に和泉屋(いずみや)与兵衛という、たいへん繁盛している呉服店がありました。隣町の本町二丁目には、帯屋久七が営む通称「帯久」という呉服屋がありましたが、これが流行らないため「売れず屋」とかげ口をたたかれていました。ある年の3月、金に困った久七が、和泉屋与兵衛に20両の借金を申しこみました。こころやさしい与兵衛は、「無利息、無証文、あるとき払いの催促なしで結構……。

2012年 日本画の革新児・今村紫紅
独創的で大胆な作品で後進に大きな影響を与えた画家の今村紫紅(いまむら しこう)が、1916年に亡くなった日です。1880年、横浜市の提灯屋を営む家に生まれた今村は、15歳ごろ地元の画家に水彩画を学び、1897年に画家だった兄と共に松本楓湖に師事しました。1898年に日本美術協会展で早くも初入選を果たすと、1901年、生涯の友となる安田靫彦らと「紅児会」をつくって、主に歴史人物画の研究を進め……。

2011年 近代文学の開拓者・坪内逍遥
『小説神髄』『当世書生気質』を著し、シェイクスピア全集の翻訳など、作家・評論家・翻訳家・劇作家・教育家として、多岐な分野で活躍した坪内逍遥(つぼうち しょうよう)が、1935年に亡くなった日です。逍遥は1858年、尾張藩だった現在の岐阜県美濃加茂市に生まれました。父は尾張藩士でしたが、母は芸術好きの商人の子で、逍遥は、幼いころから、読本・草双紙などの江戸文学や俳諧、和歌に親しんで……。

2008年 グレゴリオ暦のはじまり
よく知られているように、2月29日のある年は閏年(うるうどし)といって、4年に1度あります。では、どうして閏年ができたのでしょう。私たちがふだん使っているカレンダーは、太陽暦といって、太陽の動きをもとにして作られた暦です。地球が太陽のまわりを一回りする長さを1年とする考え方です。初めて1年の長さをかなり正確に計ったのは、6000年も昔の古代エジプト人でした。他の民族の人たちはたいてい……。

2007年 幼児の創造性の芽をつんでいませんか
幼児である子ども自身にとっての善悪感は、親の考える善悪感、おとなの認識している善悪感とは、まるでちがいます。幼児にとっては、自分が楽しいこと、うれしいことが自分の善であり、楽しくないこと、いやなことが悪です。したがって、親の善悪感を絶対的なものとして、幼児の行動を 「それはいい」 「それはいけません」 と一方的に規制していくことには、大きな疑問が残ります。もちろん、いけないことを……。

2006年 「説得」から「納得」の営業へ
いずみ書房のフランチャイズ販売組織にかげりが見えはじめたのは、1983年頃だったろうか。訪問販売という販売手法は、読書や家庭教育に無関心な母親に、幼児期の子育ての大切さを知らせるという点で、たいへん重要な役割をはたしてくれたと思う。私は、営業にたずさわる人たちの基本的な理念にしてもらうため、「絵本のすすめ」(後に改題「かしこい子どもの育てかた」)という小冊子をこしらえ……。
投稿日:2018年02月28日(水) 05:16

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)