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最新記事【2017年11月24日】


● 今日(11月24日)の主なできごと

1944年 東京初空襲……アメリカ軍の爆撃飛行機B29が、サイパン島の基地から東京へ初めて爆撃を敢行した。航空機を製造する中島飛行機武蔵野工場が主な攻撃目標だったが、やがて東京などの都市を中心に無差別爆撃へ戦術を変え、翌年3月10日には東京の下町を火の海にする大空襲を行った。


● 今日の主な記念日・恒例日

オペラ記念日……1894年のこの日、東京音楽学校(今の東京芸術大学)奏楽堂で、明治以降日本で初めてのオペラ『ファウスト』(グノー作曲) 第1幕第1幕が上演されたことにちなみ、オペラ愛好家が制定。

鰹節の日……「い(1)い(1)ふ(2)し(4)」の語呂合せから、食品メーカーが制定。

進化の日……1859年のこの日、ダーウィンの『種の起源』の初版がイギリスで刊行されたことにちなんで制定された記念日。


● 今日生まれた人

1632年 スピノザ……オランダの哲学者・神学者。代表著作『エチカ』『神学・政治論』。デカルト、ライプニッツと並ぶ合理主義哲学者。

1826年 コッローディ……イタリアの児童文学作家。代表作『ピノッキオの冒険』。

1849年 バーネット……イギリス出身アメリカの小説家。代表作『小公子』『小公女』『秘密の花園』など。

1864年 ロートレック……フランスの画家。代表作『ムーラン・ルージュにて』『写真家セスコー』など。

1873年 川合玉堂……明治・大正・昭和期の日本画家。代表作『二日月』『行く春』『彩雨』など。

1898年 劉少奇……中国の政治家。第2代国家主席となるものの「文化大革命」で失脚。


● 今日亡くなった人

1929年 クレマンソー……フランスの政治家・ジャーナリスト。2度首相を務め、第一次世界大戦のパリ講和会議で厳しい対独強硬論を貫く。
 
1933年 村山龍平……明治・大正・昭和期の新聞人・政治家。「朝日新聞」創業。

1940年 西園寺公望……明治・大正・昭和期の政治家。第12・14代首相。昭和に入り「最後の元老」として実質的な首相選定者。

1978年 大松博文……昭和期のバレーボール監督・政治家。全日本女子チームを「東洋の魔女」に育て、1964年東京オリンピックで金メダルに導く。


● 過去のマイブログ「11月24日」のテーマ

2015年  「朝日新聞」 と村山龍平
「朝日新聞」を日本を代表する世界的な大新聞に発展させた村山龍平(むらやま りょうへい)が、1933年に亡くなった日です。1850年、伊勢国田丸(現・三重県玉城町)に紀州藩士の子に生まれた村山龍平は、幕末激動期の1867年から田丸城に務めましたが、1871年に一家とともに大阪に移住すると、父と西洋雑貨商を営みました。1878年に大阪商法会議所の議員に選ばれ、1879年に同業者の木村平八・騰(のぼる)父子が「大阪朝日新聞」を創刊すると、これを支援しました……。

2011年 「ベルサイユ条約」 とクレマンソー
フランスの政治家でジャーナリストのクレマンソーが、1929年に亡くなった日です。1841年、フランス西北部バンデ県で代々医者を家業とする家に生まれたジョルジュ・クレマンソーは、南北戦争中のアメリカに留学した後、パリで医学を学んで家業を引継ぎましたが、まもなくジャーナリストに転身。1865年から4年間アメリカの通信員として働きながら、政治に関心を持ちだしました。帰国後、29歳でパリのモンマルトル区長となり、1871年に下院議員に当選して……。

2010年 『小公子』 のバーネット
イギリス生まれでアメリカ合衆国で活躍した女流小説家・劇作家のバーネット夫人が、1849年に生まれた日です。後にバーネット夫人となるフランシス・イライザ・ホジソンは、イギリスのマンチェスターに生まれました。幼ないころから妖精物語を好む想像力の豊かな子でしたが、父が事業に失敗した後に亡くなり、1865年に一家と共にアメリカのテネシー州ノックスビルへと移住しました。アメリカ南北戦争による不景気で家業がつづかなくなり、家計を助けるために小説を書きはじめました……。
 
2009年  進化論のダーウィン
イギリスの博物学者で、生物はみな時間とともに下等なものから高等なものに進化するという「進化論」に「自然淘汰説」という新しい学説をとなえたダーウィンが、1859年のこの日に刊行された『種の起源』の中で、たくさんの例をあげて解き明かしました。聖書には、「この世のあらゆるものは神が造ったもの」とあります。そのため、キリスト教を信じる人たちの間で大騒ぎになりました。ダーウィンは『種の起源』の中では、自然淘汰による進化論をとなえましたが……。

2006年 「正岡子規」 のこども時代
結核で35歳の短い生涯を終えた子規は、子どものころから、ひよわでした。仲間とけんかをすれば、きまって負け、いつもしくしく泣きながら家へ帰っていきました。木のぼり遊びのときは、どうしても自分だけのぼれず、みんなに笑われました。くやしくて必死にのぼろうとしても、腕の力が弱く、両手で木にしがみついても、ずるずるとずり落ちるばかりだったのです。しかし、学ぶことはだれよりも好きでした。それに、驚くほどもの覚えがよく……。
 
2005年  童謡「しゃぼんだま」の真実
拠点長会の席上で語った内容の第4回目。「みんなのおんがくかい」 が、他の「いずみ文庫」(ポケット絵本シリーズ)とは異質のシリーズではないということを申し上げたいと思います。むしろ、「みんなのおんがくかい」 を基本に「童話」「科学」「ワールド」「伝記」すべてに結びつけ、組み合わせることのできる教材だということです。その理由は、あとでお話します。「みんなのおんがくかい」 の最大の特長は、歌の心をわが子に語って聞かせるためのアドバイスや解説がついている……。
投稿日:2017年11月24日(金) 05:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)