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最新記事【2017年07月25日】


● 今日(7月25日)の主なできごと

1814年 蒸気機関車の試運転……イギリスのスチーブンソンがキリングワーク炭鉱で蒸気機関車の試運転に成功。

1894年 日清戦争始まる……日本軍は朝鮮の豊島(ほうとう)沖で中国の清艦隊を攻撃し、日清戦争がはじまった。朝鮮を属国化しようとする清と、朝鮮を清から奪おうとする日本との対立が原因。

1980年 「ルービックキューブ」ブーム……この日、立体パズル「ルービックキューブ」が日本で発売された。発売8か月で400万個の売上げで、大ブームをひきおこした。


● 今日の主な記念日・恒例日

かき氷の日……七(な)2(ツー)五(ご)で「なつごおり」(夏氷)の語呂合せにより、日本かき氷協会が制定。

うま味調味料の日……1908年のこの日、化学者の池田菊苗が、昆布の「うま味」成分の研究により、「グルタミン酸塩を主成分とする調味料製造法」の特許を取得。のちに「味の素」と名づけられて工業化されたことにちなみ、日本うま味調味料協会が制定。


● 今日生まれた人

1803年 バイエル……ドイツの作曲家。代表作『ピアノ奏法入門書(バイエル教則本)』。

1848年 バルフォア……イギリス首相。「バルフォア宣言」でパレスチナへのユダヤ人国家建設に賛同。

1857年 スプレイグ……アメリカの発明家。電気モーター・電気鉄道・電気式エレベーターの開発に貢献。

1903年 小磯良平……昭和期の洋画家。『T嬢の像』など女性像、群像を多く手がけた。

1914年 早船ちよ……昭和・平成期の児童文学作家。代表作『キューポラのある街』。


● 今日亡くなった人

731年 大伴旅人……飛鳥・奈良時代の官人・歌人。

1974年 花菱アチャコ……大正・昭和期の漫才師。エンタツ・アチャコのコンビで一世を風靡。

1978年 古賀政男……昭和期の作曲家。代表作『丘を越えて』『影を慕いて』『青い背広』など。

1980年 時雨音羽……大正・昭和期の作詞家・歌人。代表作 『スキー』『君恋し』『鉾をおさめて』など。


● 過去のマイブログ「7月25日」のテーマ

2014年 「演芸の革新者」 花菱アチャコ
大正期から昭和の高度成長期まで、「しゃべくり漫才」や役者として喜劇界をリードした花菱(はなびし)アチャコが、1974年に亡くなった日です。1897年、福井県勝山市の寺の子として生まれ花菱アチャコ(本名・藤木徳郎)は、幼くして両親とともに大阪に移り住み、映画や演劇に興味を持つようになりました。15歳のとき新派の俳優になりたいと山田五十鈴の父山田九州男(くすお)一座に入門しましたが、「喜劇向きの顔」といわれ……。

2013年  [おもしろ民話集 93] こわれた茶わん
むかし、乱暴な王さまが、国をおさめていたことがありました。この王さまは、すばらしいものをたくさん持っていましたが、なかでも、ひとつの湯飲み茶わんをなによりもたいせつにして、宮殿の金でできた台の上に飾っていました。この茶わんには、とても小さな模様が描いてあって、それがキラキラ輝くのを見ると、心が安らぐのでした。大むかし、この地方でいちばん優れていた陶工がこしらえた茶わんでしたが、その陶工は、自分の秘術をだれにも伝えずに亡くなったため、それ以後はだれにも作ることができない宝物でした……。

2012年  女性像で知られる小磯良平
西洋的な感性の中に日本的油絵を確立させた洋画家の小磯良平が、1903年に生れた日です。兵庫県神戸市に、貿易に携わる岸上家に生れた良平は、洋館が立ち並ぶ「西洋的な空気」にふれながら幼・少年期を過ごし、鉛筆と紙を与えておけば、飽きることなく絵を描いているほどでした。兵庫県立第二神戸中学校(現 兵庫高校)に進学し、のちにモダニスト詩人となる竹中郁と親交をむすぶようになり、良平の心の眼はヨーロッパに向けて開かれていきました……。

2011年  酒を愛した歌人・大伴旅人
奈良時代初期の貴族で歌人の大伴旅人(おおともの たびと)が、731年に亡くなった日です。676年に生まれた旅人が、成人するまでのことはよくわかっていません。大伴氏は、武門で名高い家系だったようで、旅人は714年に、父の安麻呂が亡くなると中納言に任じられ、720年には、南九州の「隼人(はやと)」が、生活の困窮から反乱をおこしたとき、征隼人持節大将軍として、反乱を鎮圧したといわれています……。

2008年  蒸気機関車の父・スチーブンソン
蒸気機関車の実用化に成功したイギリスの技術者スチーブンソンが1814年、第1号の蒸気機関車ブリュッヘル号を試運転した日です。ジョージ・スチーブンソンは1781年、北イングランドの炭鉱地にある鉱山村に生まれました。当時のイギリスは、蒸気機関や紡績機が発明され、にわかに世界一の工業国になっていました。産業革命がはじまっていて、石炭はいくらあっても足りないほどでした……。

2007年  [おもしろ民話集 7] ネズミのすもう
あるところに、まずしい、じいさまと、ばあさまがいました。ある日、じいさまが、山へ柴かりに行くと、どこからともなく、ドスコイ ドスコイという声が、きこえてきました。じいさまは、ふしぎに思って、声のするほうへ行ってみました。すると、やせたネズミと、ふとったネズミが、けんめいにすもうをとっています。木のかげから、そっと見ると、ふとったほうは、長者どんのところのネズミ、やせたほうは、じいさまの家のネズミです……。

2006年  がまんだがまんだうんちっち
1年生の女の子が、読書感想文で、次のように書いている「がまんだがまんだうんちっち」(梅田俊作・佳子・海緒 作/絵 岩崎書店刊)。1ねんせいの、みおくんがトイレにいきたかったのに、そうじ中でいけなかったところから、このおはなしがはじまります。まず、トイレをかりようと、ともだちのうちへいったら、るすでだめ。ケーキやさんもだめ、おじさんちもだめ、こうしゅうべんじょは、きたなくってだめ。スーパーはまんいんでだめ。とうとう、がまんできなくって、ちゅう車じょうのはらっぱでしてしまいました。みおくん、やっと、うんちができてよかったね。うんちをするにも、こんなにいろいろとかんがえないとできないんだね……。

2005年  「ポケット絵本のねらい」 について
W氏に手渡した冊子の内容はどんなものかという問い合わせがあり、原文はかなり長いものなので、そのポイントをここに記載してみることにする。◇ 昔話の原話をできるかぎり忠実に……「三びきのこぶた」という有名な英国のむかし話がある。ジェイコブズというイギリスの民話収集家が19世紀末に「イギリス民話集」に発表して以来、世界的に流布するようになった。この物語は、二匹のなまけもの兄さんこぶたをオオカミに食べられてしまった弟こぶたが、知恵をはたらかせてオオカミのたくみな誘いから逃れ、逆に、にえ湯の中に落してオオカミ退治をするという痛快なストーリーである……。
投稿日:2017年07月25日(火) 05:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)