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最新記事【2017年06月30日】


● 今日(6月30日)の主なできごと

1898年 日本初の政党内閣……それまでの内閣は、長州藩や薩摩藩などの藩閥が政権を担当していたが、自由党と進歩党がひとつになった憲政党が、大隈重信を首相に、板垣退助を内務大臣に内閣が組織されたため、大隈の「隈」と板垣の「板」をとって隈板(わいはん)内閣といわれた。しかし憲政党に分裂騒ぎがおき、組閣後4か月余りで総辞職を余儀なくされた。

1905年 相対性理論……20世紀最大の物理学者といわれるアインシュタインが、まだスイスの特許局で働く無名の技師だったこの日、相対性理論に関する最初の論文「運動物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌に発表し、世界の注目を集めた。この日は「アインシュタインの日」とされ、物理学への関心を高める記念日になっている。


● 今日の主な記念日・恒例日

トランジスタの日……1948年のこの日、アメリカAT&Tベル研究所のウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンが発明したトランジスタが初めて公開されたのを記念して制定。


● 今日生まれた人

1843年 アーネスト・サトウ……イギリスの外交官。駐日公使館書記官となり、『一外交官のみた明治維新』を著す。

1856年 亀井忠一……明治・大正・昭和期の出版人。三省堂創業。

1877年 東くめ……明治・大正・昭和期の教育者。『鳩ぽっぽ』『お正月』など口語による童謡を作詞。

1892年 弘田竜太郎……昭和期の作曲家。代表作『浜千鳥』『雀の学校』『叱られて』など。


● 今日亡くなった人

1957年 川合玉堂……明治・大正・昭和期の日本画家。代表作『行く春』『彩雨』など。

1975年 金子光晴……大正・昭和期の詩人。代表作『落下傘』『人間の悲劇』『どくろ杯』など。

1978年 柴田錬三郎……昭和期の小説家。代表作『イエスの裔』『眠狂四郎無頼控』など。


● 過去のマイブログ「6月30日」のテーマ

2015年 「眠狂四郎」 の柴田錬三郎
『イエスの裔(すえ)』で直木賞を受賞したほか、『眠狂四郎無頼控』『御家人斬九郎』『徳川太平記』など戦国・幕末を扱った作品を多く著し、「剣客ブーム」を巻き起こした大衆作家の柴田錬三郎(しばた れんざぶろう)が、1978年に亡くなった日です。1917年、今の岡山県備前市に地主の子として生まれた柴田錬三郎(本名・齋藤錬三郎)は、旧第二岡山中学を卒業後に医者をめざして上京、慶応義塾大学医学部へ入学するものの、半年後に文学部へ移り、在学中に『十円紙幣』を「三田文学」に発表したり、魯迅に傾倒して1940年同大学支那文学科を卒業……。

2014年  自然を穏やかに描いた川合玉堂
「二日月」「行く春」「彩雨」など、詩情豊かな独自の日本画を数多く残した川合玉堂(かわい ぎょくどう)が、1957年に亡くなった日です。1873年、いまの愛知県一宮市の豪農で筆墨紙商の長男として生まれた川合玉堂(本名・芳三郎 玉堂=号)は、幼いころから絵が上手な子として知られ、14歳のときに京都に出て望月玉泉の門下になって本格的に学びました。1890年、17歳で幸野楳嶺の画塾に入って同門の竹内栖鳳らから大きな刺激を受けました……。

2011年  日英外交の功績者 アーネスト・サトー
幕末から明治初期に活躍したイギリスの外交官で、英国公使館通訳、駐日英国公使など、日英間の融和につとめたアーネスト・サトーが、1843年に生まれた日です。スウェーデン人貿易商の子としてロンドンに生まれたサトーは、子どもの頃から聡明で、14歳のときにたまたま読んだ本から、東方には、日本や中国といった自分の知らない文明国があることを知りました。大学を飛び級で卒業後、北京で漢字学習をしたあと、日本駐在通訳に応募して1862年、念願の来日を果たします……。

2010年 「♪雀のがっこう」 の弘田竜太郎
大正、昭和初期に活躍した作曲家で、「靴が鳴る」「叱られて」「春よこい」など、数多くの童謡の名曲を遺した弘田竜太郎が、1892年に生まれた日です。竜太郎は、中学校長を父に高知県安芸市で生まれました。幼い頃から一絃琴の名手だった母の影響を受けて音楽に親しみ、11歳で父親の転任にともない三重県の津市に転居、中学の頃から音楽的才能を認められるようになりました……。

2009年 「相対性理論」 のアインシュタイン
今日は、20世紀最大の物理学者といわれるアインシュタインが、1905年に相対性理論に関する最初の論文「運動物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌に発表したことを記念した「アインシュタインの日」です。1905年当時、アインシュタインはスイス連邦特許局の無名の技師でした。役人のかたわら研究をつづけてきたアインシュタインは、特殊相対性理論、光量子の理論、ブラウン運動の理論などを発表して、またたくまに、世界の注目をあびるようになりました。大学を卒業してからわずか5年目、まだ26歳のときのことです……。

2008年  子どもがいちばん成長するとき
ある公園で見かけたことです。木陰のベンチで母親同士おしゃべりをしていたお母さんの一人が、向こうでうずくまるようにしているわが子へ声をかけ、それから、次のようなやりとりが始まりました。「さぁ、帰るわよ、いらっしゃい」 「……」 「どうしたの? 早くいらっしゃい」 「ママ、ちょっと待って」 「どうしたの? 何やってるの」 「ありんこがいっぱいいるんだ」 「ありんこなんて、いつでも見られるでしょ」 「だって、たくさんつながっていて、おもしろいんだもの」 「だめ、だめ、ママ、ご用があるから帰るの、早くいらっしゃい。あら、ありなんかにさわっちゃだめ」 「さわってないよ、ありんことありんこが、お話してるみたいで、おもしろいんだ……。 

2005年  すべりこみセーフ
樫村社長に200万円を受領したことを報告し、月末までに残りいくら用意すればよいかとたずねると、あと500万円はほしいという。「ポケット絵本シリーズ」は、J・チェーン分として納品した以外に、いずみ書房の奥付分を各集3000セットほど制作していた。これは、以前、保育園を中心に予約をとった人たち用にとっておいた分であった。J・チェーンと取引を開始したころからは、新たな開拓をほとんどしなかった。というのも、私が開拓した園へJ・チェーンの加盟店が訪れることがよくあり、すでに入っているのを知った加盟店が本部に苦情をいうことが続いたからだ。また、5月に全巻完成したことを知った幼稚園への納入業者のいくつかは、当社と直接取引したいといってきたが……。
投稿日:2017年06月30日(金) 05:47

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)