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最新記事【2017年05月02日】


● 今日(5月2日)の主なできごと

713年 元明天皇『風土記』の編纂命令……710年に奈良時代を開いた女帝の元明天皇は、諸国に『風土記』の編纂を命じ、各地方の由来に始まり、地形や文化、いい伝え、草木や動物などを記した書物を作るようにおふれを出した。

1920年 日本初のメーデー……この日、上野公園で第1回メーデーが開催され、およそ1万人の労働者が「8時間労働制の実施」「失業の防止」「最低賃金法の制定」などを訴えた。翌年からは5月1日となり、開催地や参加人数も増えていった。

1948年 サマー・タイムの実施……欧米の政策を採り入れて、時計を1時間早めるサマー・タイムが実施された。しかし、日本の生活習慣に合わなかったため、4年後に廃止。最近になって、エネルギーの節約と時間の有効活用のために導入すべきだという声もきかれる。


● 今日の主な記念日・恒例日

郵便貯金の日/郵便貯金創業記念日……1875年のこの日、東京と横浜の郵便局で郵便貯金の業務を開始したことで、郵政省(今の日本郵政)が1950年に制定。

交通広告の日……交通広告とは、駅や電車・バスの車内に貼られる広告のことで、5(ゴ)2(ツー)で「こうつう」(交通)の語呂合せから、関東交通広告協議会が1993年に制定。


● 今日生まれた人

1903年 スポック……アメリカの小児科医・平和運動家。代表著作『スポック博士の育児書』など。


● 今日亡くなった人

756年 聖武天皇……奈良時代の第45代天皇。全国に国分寺を建て、奈良東大寺に大仏を造営。

1519年 レオナルド・ダ・ビンチ……イタリア・ルネサンス期の巨匠。『モナリザ』『最後の晩餐』など絵画ばかりか、彫刻・建築・音楽・科学・工学・地学など「万能の天才」。

1927年 景山(福田) 英子……明治・大正期の婦人解放運動家。

1957年 マッカーシー……アメリカの政治家。共産主義者への攻撃。

1989年 槇有恒……大正・昭和期の登山家。マナスルに初登頂。日本山岳会設立。


● 過去のマイブログ「5月2日」のテーマ

2014年 「赤狩り」 のマッカーシー
アメリカの上院議員で、1950年代前半に「マッカーシズム」といわれる共産主義者への攻撃旋風をまきおこしたマッカーシーが、1957年に亡くなった日です。1908年、ウィスコンシン州グランド・チュウトに農場経営者の子として生まれたジョセフ・マッカーシーは、ミルウォーキーのマーケット大学で法律を学びました。1935年卒業後に弁護士の資格を取ると、法律事務所で働きながら1936年に民主党員として治安判事になるための運動に乗り出すものの成功せず……。

2013年  [おもしろ民話集 83] 歌う骨
むかしある国で、いのししが畑を荒らし、家ちくを殺し、牙で人のからだをひき裂くので、みんなとても困りました。そこで王さまは、この苦しみから国を救ってくれるものには、たくさんのほうびをあげる、と約束しました。でもこのいのししは 大きくて強いので、いのししが住んでいる森に近づく勇気のあるものはありません。そこで王さまは、いのししをつかまえるか、殺すかしたものには、王さまの一人娘を妻にやると……。

2012年  女性解放の闘士・景山英子
女性解放運動のさきがけとなった社会運動家の景山英子(かげやま ひでこ)が、1927年に亡くなった日です。1865年、岡山藩の下級武士の娘として生まれた英子は、下級武士の例にもれず生活の糧として内職に寺子屋を開く父と、寺子屋の教師をつとめる母という教育熱心な家庭に育ちました。英子が4歳の時、明治維新の大変革がおこり、武士階級の解体により、父は巡査になるいっぽう、母は岡山県が開設した女学校の教師となりました……。

2008年  マドリッド3大美術館を制覇
マドリッドにある美術館といえば、まず 「プラド美術館」 があげられます。世界3大美術館の一つとして、パリのルーブル美術館、ロンドンのナショナル・ギャラリーと並び、絵画の収録点数は世界一の規模を誇ります。基礎になるのは、スペイン王室が所蔵していた大コレクションで、王家が宮廷画家たちに描かせた作品が多く、ベラスケス、ゴヤ、グレコ、ムリーリョらがその代表です……。

2007年  ヘンリーおじさんの活躍に期待
本日より、私のブログの右下に「ヘンリーおじさん」というバナーを貼りました。ヘンリー坊やが楽しそうに歩いている姿をクリックすると、「ヘンリーおじさんと遊びながら英語を覚えよう!」のホームページにつながりますので、ぜひ訪ねてみてください。また、当社の「Growth Compass〜成長の羅針盤〜」でも取材をしていますのでご覧ください……。

2006年  わたしのぼうし
「わたしのぼうし」(作・絵 さのようこ ポプラ社刊)のあらすじは、次の通りです。……たいせつにして、いつもかぶっていたわたしのぼうしが、きしゃの窓から吹きとばされてしまいました。おとうさんが 「とんでいったのが、おまえでなくて、よかったよ」 と言ってくれても、おかあさんが、えきでアイスクリームを買ってくれても、わたしはかなしくてたまりませんでした。つぎの日、おとうさんが、新しいぼうしを買ってくれました。でも……。
投稿日:2017年05月02日(火) 05:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)