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最新記事【2017年04月17日】


● 今日(4月17日)の主なできごと

723年 三世一身法……聖武天皇が即位したこの年、農民の人口が増え、耕地が不足したため、田地を開墾した者には、本人・子ども・孫の代まで、その土地の所有を認める「三世一身法」を、この日に公布した。当時は、土地の所有は認められず、班田収授制によって貸与された土地からの何割かを「租」として納める制度だった。

1895年 下関条約調印……1894年7月に始まった日清戦争は日本の勝利に終わったが、この日山口県下関市で、日清戦争の講和条約のための下関条約が調印された。


● 今日の主な記念日・恒例日

ハローワークの日(職安記念日)……1947年のこの日、職業紹介所が「公共職業安定所」と名前を改めた。一般的に「職安」といわれてきたが、現在は「ハローワーク」という愛称で呼ばれている。「ハローワーク」は、職業紹介・職業指導・失業保険など、「職業安定法」の目的を達するための事業を無料で行う施設。

恐竜の日……1923年のこの日、アメリカの動物学者のアンドルーズがゴビ砂漠へ向けて北京を出発した。それから5年間に及ぶ旅行中に、恐竜の卵の化石を世界で初めて発見し、その後の本格的な恐竜研究の始りになったことにちなんだ記念日。


● 今日生まれた人

1818年 アレクサンドル2世……ロシアの皇帝。「農奴解放令」を発布。
 
1820年 カートライト……アメリカの「現代野球のルール」を確立した人物。

1837年 ジョン・モルガン……アメリカの金融資本家。ロスチャイルド、ロックフェラーと並ぶ3大財閥のひとつ「モルガン財閥」創始。

1837年 板垣退助……明治期の政治家。「自由民権運動」指導。大隈重信と日本初の政党内閣「隈板内閣」を創始。


● 今日亡くなった人

1354年 北畠親房……鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。代表著作は、吉野朝廷(南朝)の正統性を述べた歴史書『神皇正統記』。

1616年 徳川家康……江戸幕府初代将軍。織田信長、豊臣秀吉により統一された天下を磐石のものとした。

1682年 朱舜水……中国・明の儒学者。江戸時代初期に来日し「水戸学」へ思想的影響を与えた。

1790年 フランクリン……アメリカの外交官・政治家・文筆家・発明家。雷が電気であることを解明。代表著作『フランクリン自伝』。

1817年 杉田玄白……江戸時代中・後期の蘭方医。『解体新書』(『ターヘル・アナトミア』の和訳)で有名。

1882年 フォンタネージ……イタリアの画家。お雇い外国人教師として来日し、日本人に洋画を指導。

1948年 鈴木貫太郎……明治・大正・昭和期の海軍軍人・政治家。第42代首相として太平洋戦争の終結を図る。


● 過去のマイブログ「4月17日」のテーマ
 
2014年  光圀に招かれた朱舜水
中国「明」の儒学者で江戸時代初期に来日し、水戸学に大きな影響を与えた朱舜水(しゅ しゅんすい)が、1682年に亡くなった日です。1600年、浙江省の名家に生まれた朱舜水は、明末期の不安定な世情にまどわされず、朱子学を学び、仕官することなくじっくり自己を鍛えました。ところが、1644年李自成の乱により明朝が滅亡し、満州民族による清朝が成立しました。こんな動きに対し舜水は、鄭親子らが明朝再興のために活動を開始すると、この運動に参加し……。

2013年 「鬼貫」 鈴木貫太郎
明治から昭和期に海軍軍人として活躍し、太平洋戦争末期の内閣総理大臣として「ポツダム宣言」を受け入れた鈴木貫太郎(すずき かんたろう)が、 1948年に亡くなった日です。1867年、下総国(千葉県)関宿藩士の子として、父の任地和泉国(現・大阪堺市)に生まれた鈴木貫太郎は、4歳のときに関宿町に帰り、1877年に群馬県前橋市に転居しました。前橋中学、攻玉社をへて、1884年に海軍兵学校に入学……。

2009年  江戸幕府を開いた徳川家康
応仁の乱以降100年以上も続いた戦乱に終止符を打ち、織田信長、豊臣秀吉により統一された天下をさらに磐石のものとした徳川家康が、1616年に亡くなった日です。家康は、日光東照宮や久能山東照宮などで「東照大権現」(とうしょうだいごんげん)としてまつられています。1542年に生まれた徳川家康は、とてもつらく苦しい少年時代をすごしました。父親は、三河の岡崎(愛知県岡崎市)の城主でした……。

2007年  計画性の身につく子に
計画性のある子どもと、なにごとにも行き当たりばったりの子ども。子どもを、このどちらかにするのは、家庭における親の態度、とくに、母親の生活態度によるものが、たいへん大きいと思われます。子どもの性格によるものではありません。母親がしてみせる生活習慣から生まれ育っていくものです。こんな例があります。ある母親は、子どもを連れて町へ出ると、いつも、あらかじめ計画して行動することは少なく……。

2006年  モチモチの木
「モチモチの木」 (斎藤隆介・作、滝平二郎・絵、岩崎書店刊) のあらすじは次の通りです。峠の猟師小屋に、ふたりっきりで住んでいる、やさしい、じさまと、甘えんぼうの豆太。豆太は、小屋の前の、おばけのように見えるモチモチの木がこわくて、夜、ひとりで、しょんべんにもいけない弱虫です。ところが、ある夜、じさまが腹痛をおこすと、豆太は、こわさをこらえて、山のふもとの医者のもとへ。そして、医者をつれて小屋へもどってくると、モチモチの木に、火が灯っているのを見ます。それは、ほんとうの勇気のある人間だけが見ることのできる、火でした……。
投稿日:2017年04月17日(月) 05:51

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)