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最新記事【2015年09月09日】

今日9月9日は、アメリカ人実業家で、世界一周鉄道を構想し、日本と満鉄の共同経営をめざすものの失敗したハリマンが、1909年に亡くなった日です。

1848年、聖公会牧師の子としてニューヨーク州ロングアイランドに生まれたエドワード・ハリマンは、中学を卒業後、14歳でニューヨークのウォール街で事務員として働き始め、22歳の時にニューヨーク証券取引所の会員となり、1872年に株式投機業ハリマン社を設立しました。1879年にニューヨークの銀行家アベレールの娘と結婚して財務的基盤を作ると、アべレールがシャンプレーン湖にある鉄道会社の社長も務めていた影響を受けて鉄道に関心を抱くようになり、1881年にハリマンは、オンタリオ湖近くにある破産した鉄道会社を買収し、会社を再建した後にペンシルバニア鉄道へ権利を売却して、莫大な利益を得ました。

1883年にイリノイ・セントラル鉄道の経営に参加、1897年には、経営不振に陥ったユニオン・パシフィック鉄道の執行委員長に就任、会社の再建に成功して会長となるなど、亡くなるまで会社に影響力を与え続けました。また、1901年にはサザン・パシフィック鉄道を買収し、同社の社長に就任します。

当時、アメリカ北西部を走る3つの鉄道は、モルガン系、ヒル系、そしてハリマン系に分かれ、どの系列にも入っていないシカゴ・バーリントン・クインシー鉄道の争奪戦を繰り広げました。ヒルと手を組んだモルガンがこの鉄道を買収すると、ハリマンは、モルガンのヨーロッパ旅行中に、モルガンのノーザン・パシフィック鉄道の株式買収を図ってウォール街を騒然とさせましたが、同鉄道の重役となることで終止符が打たれました。

1905年9月、世界一周鉄道を構想したハリマンは、日露戦争後のポーツマス条約締結後に訪日すると、1億円という破格の財政援助を持ちかけて、南満州鉄道(満鉄)の共同経営を申し込みました。日本側も乗り気で、10月12日に、奉天以南の東清鉄道の日米共同経営を規定した桂・ハリマン協定を結びました。しかし、小村寿太郎外相(講和条約交渉全権主席)が帰国すると情況は一変、小村は、「戦争の成果は、樺太の南半分を除けば、満鉄しかない。これを放棄すれば国民が許さない」と主張、桂太郎首相も覚書を破棄せざるえませんでした。

なお、この2ヵ月間の日本滞在中にハリマンは、柔術に関心を抱くようになり、柔道家の富田常次郎、前田光世や6つの柔術・力士団体と共に帰国し、コロンビア大学で公演を成功させました。


「9月9日にあった主なできごと」

686年 天武天皇死去…645年におこった大化改新の事業を完成させ、革新の気風あふれた白鳳文化を生んだ天武天皇が亡くなりました。

1828年 トルストイ誕生…『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』などの長編小説や、随想録『人生読本』で名高いロシアの作家トルストイが生まれました。

1948年 「朝鮮民主主義人民共和国」成立…同年8月に成立した「大韓民国」(韓国)に対抗して、「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)が成立し、金日成を首相に選びました。
投稿日:2015年09月09日(水) 05:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)