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最新記事【2015年07月21日】

今日7月21日は、『夏目漱石論』『アメリカと私』など、文学評論から文明評論まで、幅広い分野の論客として知られた江藤淳(えとう じゅん)が、1999年に亡くなった日です。

1932年、銀行員の長男として今の東京大久保に生まれた江藤淳(本名・江頭淳夫)は、4歳半で母を結核で失い、2年後に父は再婚。1945年の空襲で生家が焼失し、疎開先から旧制湘南中学に通い、1948年に旧都立第一中学(現・日比谷高校)へ転校するものの結核で1年間休学、1953年に慶応大学文学部に入学しました。

しかし同年6月に結核が再発、病と闘いながらも『夏目漱石論』を書き上げ、1954年には作家論シリーズ1作目『夏目漱石』を出版します。1957年に同大英文科を卒業すると、日本の近代的自我に対する批判を加えた評論集『奴隷の思想を排す』を刊行、1959年に『作家は行動する』を刊行するころには、大江健三郎や司馬遼太郎らと共に気鋭の新人として注目され、大きな影響力を持ちはじめました。

1960年代初めから文壇・論壇での活動を本格化させるいっぽう、1962年にロックフェラー財団の研究員としてプリンストン大学に留学 (滞在中に『小林秀雄』が新潮社文学賞を受賞)。 翌1963年には、プリンストン大学東洋学科で日本文学史を教え、1966年には遠山一行・高階秀爾らと『季刊藝術』を創刊し主宰しています。

1969年末から約9年間にわたり毎日新聞の文芸時評を担当、大衆迎合しない復古的保守派の論客として論壇で異彩を放つようになり、その間、ときおり戦後保守派や新保守主義派の論客と対立。著者の『アメリカと私』では「日本人をアメリカ史のゲームから解放せよ」と主張したり、『自由と禁忌』では、日本は「占領軍によって存在させられている」実質的に独立国家ではないと主張するなど、その活動範囲を文学評論から、文明論的な展開に拡大させていきました。

その後江藤は、東工大教授、慶応大教授、大正大教授などを歴任、1998年の愛妻の死去の後を追うように、この日66歳で自殺しました。代表作は、上記以外に、文学における母性について論じた『成熟と喪失』、文明論的に作家をとらえた『漱石とその時代』(未完)、歴史小説『海は甦える』などがあります。


「7月21日にあった主なできごと」

1588年 無敵艦隊敗北…イギリス本土をねらうスペインのフェリペ2世は、自慢の無敵艦隊(アルマダ)を率い、イギリス艦隊との海戦を開始しました。しかし10日間ほどの交戦の末、機動力のある小型船を駆使したイギリス艦隊に敗北しました。

1899年 ヘミングウェイ誕生…『日はまた昇る』『武器よさらば』『老人と海』などを著したアメリカの小説家ヘミングウェイが生まれました。

1969年 人類初の月面着陸…アメリカの宇宙船アポロ11号が人類初の月面着陸したようすが、日本の昼食時にテレビ報道された日です。世紀の瞬間を見ようと、街頭テレビなどに人々がむらがって、大都市の交通量が半減しました。
投稿日:2015年07月21日(火) 05:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)