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最新記事【2015年02月27日】

今日2月27日は、11歳で映画デビューしてからその美しい容姿で人気を集め、『バターフィールド8』『バージニア・ウルフなんかこわくない』と2度のアカデミー賞主演女優賞に輝き、「リズ」の愛称で親しまれたイギリス出身のアメリカ女優エリザベス・テーラーが、1932年に生まれた日です。

ロンドン近郊に、画商の父と、元舞台女優の母の子として生まれたエリザベス・テーラーは、両親がカンザス州出身のアメリカ人だったことから、戦火を避けるため、1939年にロサンゼルスに移住しました。10歳のころから、驚くほどの美貌が評判になり、映画会社のユニバーサルとMGMの争奪戦となり、ユニバーサルと契約を結ぶものの1作で契約を解消、MGM所属となりました。1943年に出演した映画『家路』の美少女役が話題になると、同年の『名犬ラッシー 家路』も好評で、MGMはテーラーと7年間の出演契約を結びました。イギリスを舞台にした『ジェーン・エア』や『ドーバーの白い崖』に続き、1944年の『緑園の天使』は大ヒット、いちやくテーラーは子役大スターとなりました。

やがて、子役は大成しないというジンクスを破って『花嫁の父』(1950年)『陽のあたる場所』(1951年)『ジャイアンツ』(1956年)などの名作に好演して有名女優となり、大ヒットとなった『熱いトタン屋根の猫』(1958年)や『去年の夏 突然に』(1959年)などに出演して「ハリウッド黄金時代」を代表する大女優といわれるようになります。1960年の『バターフィールド8』では、アカデミー主演女優賞を獲得、この作品は18年間にわたるMGMとの最後の作品となりました。

20世紀フォックスと当時の最高額で契約すると、1963年『クレオパトラ』に主演し、共演者のリチャード・バートンと恋愛関係になったことで、タブロイド紙の大スキャンダルとなり、やがて結婚したことはよく知られています。つづくバートンと共演作『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)は、大ヒットとなり、汚れ役の体当たり演技で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞しました。

しかし、1970年代半ばからテーラーの映画出演は減っていき、ときおりテレビや舞台に出演する程度になりました。1980年代半ばからはエイズ撲滅運動に関わり、1985年に米国エイズ研究財団の創設メンバー、1993年にはエリザベス・テーラー・エイズ基金を創設しています。

テーラーは、2011年79歳で亡くなりますが、私生活では、十代でホテル王のヒルトンと結婚したのをはじめ、離婚と結婚をくりかえし、正式な結婚だけでも8回を数え、生命に関わる長い闘病生活でも知られていました。


「2月27日にあった主なできごと」

1876年 江華条約の締結…鎖国をつづける朝鮮に国交を求めていた明治政府は、前年に日本の軍艦が朝鮮の江華島付近で砲撃を受けたのに対し、猛反撃を加えました(江華島事件)。この日更なる圧力をかけて江華条約を締結させ、念願の朝鮮開国を実現させました。この条約は釜山・江華港を貿易港として開港、朝鮮海航行の自由、江華島事件の謝罪など、日本優位の不平等条約で、日本の朝鮮侵略の第1歩となりました。

1933年 ドイツ国会議事堂炎上…この日の夜突然、首都ベルリンの国会議事堂が燃え上がり、ヒトラー はこれを共産党員のしわざだとして、共産党員をすべて逮捕し、間近にせまった選挙に出られなくさせました。このため、ナチス党は選挙を有利に進め、独裁の足がかりとしました。

1936年 パブロフ死去…消化腺と条件反射の研究で、ノーベル賞を受賞したロシアの科学者パブロフが亡くなりました。
投稿日:2015年02月27日(金) 05:16

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)